満月の日に書くただの日記

今お月さまを食べている。

とにかく美味いさつまいもにあたった!これはもれなくご機嫌である。ちなみに今日は満月である。

1月21日。今日はすこぶるいい日だった。

何がよかったって、色々である。他愛もないことだからひとつずつ書いたところできっと誰の共感も得ないしあまり役にも立たないだろう。でも、なんだか嬉しい日なのだ。

だから、こんな冬の日を過ごしたことをただただ自分の満足のために記録しよう。

そう書いてみると今日だけ特別みたいだけど、実は昨日もいい日だった!そして、そう言えば1月初旬もお正月も年末も、いろんな日々があって嬉しかったり悩んだり気づきがあったりして日記みたいに記録していたのだけど。

それらは私の心に留めて、今日は時間があるので今日のことをパラパラと書いてみよう。

夜はたっぷりと眠って、朝はいつもより早く起きた。いい目覚めだ。

昨晩お腹のマッサージをしてて朝まで布団の中にあったふにゃふにゃのストレッチボールを抱えて丸まって、部屋が暖まるまでぬくぬく布団の中で過ごす。モゾモゾと動くと右肘とおしりが痛い。ブラインドの隙間から見える外の景色はきれいな明るい青。

なんだ今日は晴れたのか❄︎

昨日は今日の青空がウソみたいな雪と雨の降る寒い日だった。そうだ、その雨のせいで私はお尻と右肘を強打したのだった。

午後から甥っ子たちと動物園に行く予定で公園で待ち合わせをしていたのだけど、さすがに寒くて急きょ室内で過ごせる科学館へ行くことになった。 公園でフラミンゴを見てた甥っ子たちと合流して車に戻ろうと歩いてたら、事件は起きたのだ。

ご機嫌に小走りしていると、突然!透明なバナナか何かに足を取られて滑ってしまい、堪える間もなくズデーーンと転んでしまったのだ!(もちろんバナナなぞありません) 気づけばおしりに激痛、視界は雨をたっぷり含んだ真っ白な空。ぎゃーーーーーーー!!誰だバナナ捨てたのは!おのれドンキーコングめ!! 傘をさし、片手は手を繋いでいたので手もつけずに尾骶骨と右肘とで全体重を冷たいコンクリートに打ち付けびしょ濡れになってしまったのだ。 しかも優しさの塊であるはずのスロープ上で!!それもなぜかひとりだけ!!優しい顔したスロープが突然掌を返して私に見せた狂気に慄きながら、面白くって痛い痛いと3人で大笑いした。なんてこった!

そう、だから朝起きたらお尻と右肘が痛いっていう話なのだ。

なんかこんな話を書いたら思い出したのだけど、子どもの頃、大人が転ぶのって衝撃的で、まさかの大人が!というショックと見ちゃったその意外性にハラハラドキドキ、そしてどこかワクワクしませんでしたか?(誰にいってるんだろう)

私は、大人が転ぶのを見ると大きな衝撃を受けながらもなんだろう見てはいけないものを見てしまったような気がして、顔には出せないけどチョットうれしくて、こっそり面白かった記憶があります。嬉しいというのは、なんか可愛いくて嬉しいいう意味で、ザマァみろ的なものではないのだけど、まぁなんとも悪い趣味を持った子どもだったようです。笑

そしてバチが当たって、大人になって子どもたちの前でこれでもかと、見るも無残に転んだのでした。なんだろう、神様ごめんなさい。

甥っ子兄は、私を転ぶ大人代表として驚きと好奇な目で見つめケラケラ笑い次々と質問をしてくるのでありました。血は争えません。。。しかし私は子どもの頃に、転んだ大人にその気持ちを聞けなかったので、聞いてくる甥っ子には誠心誠意答えてやりましたとも。

みゆき痛い? → 痛いよ(泣)

転んだの? → 転んだよぅ(泣)

なんで転んだの? → 滑ったんだよぅ(泣)

なんで滑ったの?(笑)→ わわわかりゃないのぅ(泣)とりあえず今後スロープには気をつけたい

どこ痛いの?→ おけつだよぅ(泣)

おけつー!爆笑 → おしりだよぅ(泣)

おけつ濡れた? → 濡れたよぅ(泣)恥ずかしいよぅ!!

爆笑 → 爆笑

何で笑ってるの → え? 恥ずかしくて面白くて、でも痛くて笑っちゃう。

痛いなら泣いて → え!!!な、な、泣くもんか(えーん)

そこで純粋な瞳で私を見つめていたもう一人の甥っ子弟が、優しさ全開で「痛いの痛いの飛んでけ~」をしてくれるという天使の魔法をかけてくれ、おしりの痛みは消えずとも心は癒されふたりに支えられながら立ち上がり、手を引かれ今度は慎重に(笑)車まで歩いたのでした。

大人も転ぶし、転ぶと痛いし恥ずかしいんだぜ!というのを体を張って甥っ子たちに見せてやったぞ。思い知ったか!(なにを)

痛いなら泣けと言った兄も、どーしても笑った私も、魔法をかけた弟も、その後なんか一体感増し増しでした。

兄はその後も笑ってくれたし、弟は私が痛いというたびに自分の魔法の効きが悪いと勘違いして何度も魔法をかけてくれました。あぁ。本当に二人がいてくれてよかった!こける前より増して大好き。

あぁ、今日がいい日だったことを書こうと思って始めたのにいつのまにか昨日転んだ話で盛り上がってしまいました。なんてこった。

そう、おしりと右肘が痛いけど、昨日は楽しかったし、本題の今日はとてもいい日だったのだ! 疲れたので本題はまた書こう。

こんな意味もない、まとまってもない寄り道しすぎな話をもしどなたか読んでくれたのであれば、心からのごめんなさい。笑 こんなところまで読んでしまったあなたは、ヒマなステキなオトナですね。私とおんなじですね。 きっと今日はいい日になりますYO!

そしてみなさまくれぐれも、ドンキーコングには気をつけて!

つづく

断るのつづき

断るお話のつづき

翌朝早朝に一通のメール

お断りした転職だったが、朝起きると先方からまた立て続けにメールが来ていて驚く。内容は以前話していたお仕事の内容ではなく、今後予定している新規事業の立ち上げの方を一緒にやらないかというもの。やはり会ってお話をしたい!時間を作れますか、お茶だけでも!と熱心にお誘いをしてくださっている。

私は昨日やっとの思いで断り、肩の荷が下りた矢先のゴリ押しに少し戸惑って、1日お返事ができずにいた。

なんで、そんなに熱心に誘うのだろう。この人はどんなことを考えてるのか。私をバリバリのやり手なのかと誤解しているのではないか。でも私はそこへ転職するエネルギーが湧いてこないのだ。正直そんな気持ちでちと憂鬱になった。

1日置いてやはり心は変わらず、返事をする。

私にやることは、昨日と同じ。 自分に嘘をつかないこと。

そして 自分と人を信頼しよう。と言い聞かせてお返事をする。 昨日より具体的に、自分の考え、気持ちを丁寧にお伝えする。

すると、お返事が。 納得してくれた上で、「(momo)さんは私にはない想いをお持ちなので、今度個人的にお茶をしませんか?」続けて「月曜日にランチでお願いします!」と。

私はぶったまげてしまった。文の意味がちょっとわからなかった。どういう意味だろう!あなたこそ私にないものをたくさんお持ちですよと思った。今までのやりとりが笑えてきてしまった。想いが違う、だからランチしよう。この感じでまっすぐに、断られても断られても望みを伝えてくる様に圧倒されて、ふにゃふにゃと肩の力が抜けた。んー、なんだろう。なんだろう。ちょっとおもしろい。

普通が何かはわからないけど、私だったらこんなに断られたら諦めるし、相手の都合も考えるし、想いが違うのかと少し凹むし、こんなに言ったのにだめかぁと傷つくかもしれないし、まぁ縁がなかったのだろうとそれ以降は最低限のやりとりで終わると思う。

なのになんだこの人は、まだ片手でたりるくらいの回数しか会ったことのない私になんの情も義理もないはずなのに、そのままの熱意を伝えてくる。なんだこの人は。何がしたいんだろう?本当だ、私にはない想いをお持ちだ。とりあえず、なんだかおもしろい人だと思った。 言われた時間が都合がつかずランチ以外の時間を提案すると、ランチがいいな!と言う。え、素直か!!!笑 ここまでくると、私もつられて楽になってくる。なんだこの人!すごいな!と笑えてくる。なんだか可愛くすら思えてくる(いい意味で)

わたしは今までその方に、失礼のないように言葉を選んでいたし出来るだけ丁寧に誤解のないように、相手を否定することのないように、と考えて考えてお伝えしてきた。でも。

この人はただひたすらにまっすぐ素直。私に失礼かとか迷惑かとか嫌がられるかとか考えず(考えてくれてるかもしれないけど!)私はこう思うんですと直球ズドン。断られてもメゲるとかない。そっかー!でもさ!と続く。

くぅーー!なんというメンタルの強さ。というか無邪気さ。 もう、私は観念した。会うことにした。こちとら素っ裸で会おうじゃないか。

そして自分自身に対してもむくむく湧いてくる感情。言いたいことオブラートに包んでいい人ぶってんじゃねーよと思う。こちらももっと心をオープンにいこうよ。大人ぶってんじゃねーよ。断るなら断るで、カラリとやれよと。わたしはいちいち重たいわ!吹っ切れた。

はじめ憂鬱だったこの転職騒動、なんだ?なんか面白いことになってきた。

私はこういう性格で、自分の意思は固いのか柔らかいのかわからないけどどうしてもここにある。そして傷つくことを怖がるし、傷つけることを怖がる。争い事は避けたいし、なるべくならみんな丸く治めたい。そうすると意見の相違があるとき二択になりがちで、自分が我慢するか、身を引くか。みたいになってしまう傾向にある。それは自分を守りたいだけの弱さに見えるかもしれない。というかその通り弱さなのだ。それも認める。人に嫌われるのは怖いのだもん。だからひとりが気が楽なのだ。

でも、こうやっていろんな人に会うことで時に真逆のタイプに触れることで、そうだよ二択じゃないじゃんねって肌身で思い出す。私のくそまじめなつまんない部分がぴゃーーーっと喜ぶというか、吹っ切れるというか、

オレ、オマエ、スキ!オレ、オマエ、チガウ!デモ、オチャ、ノム、ウマイ!みたいな超絶シンプルな私が出てきて踊り出すことがある。

人との出会いは悲しい思いもしたり嬉しい思いもしたり、ほんといろんなことがある。

めんどくさくも真面目な部分のおかげでひとつ1つの出会いをいい加減にしないでいっぱい考えることができる。そして、それをひっくり返してくるまっすぐな人に触れると、謎の存在であり、え!なんなの?と思いながらもどこか喜ぶ自分を見つける。決して一人では味わえない、面白い瞬間。

私も、自分を伝える時には超絶シンプルなコミュニケーションをとってみたいなと思った。やってみてその結果、傷つくのか凹むのか、傷つけるのか、それともひっくり返してお茶飲み友達になるのか(笑)まぁどれも、それはそれでなんか素敵だな、と思った。 どうなっても、素敵だな。 自分に嘘をつかなければ、傷つくことすら痛くて泣くけど愛おしく思える。共感しあえなくて辛いけど、離れても応援しあえるのかもしれない。

そういう形の人との付き合い方を、していけますように。こわいこわい。でも素晴らしい。痛い痛い、でも尊い。 いろんな人に会って、つくづく自分を知るんだなぁ。

今までずっと断ることが苦でモヤモヤし続けていたのに、今や彼女と会うのが妙に楽しみな私なのだった。もう転職するとかしないとか、どうでもよく(笑)イノシシのようにまっすぐで、ゴムまりみたいにポンポンと戻ってくる情熱的な人を前に、どんな自分が飛び出すんだろ。それが楽しみな気持ち。

それにしても改めて、こんなにまで私に会いたいと言ってくれる人がいるだろうか。どんな理由でもとんでもなくありがたくって幸せなことで。

私の感謝の気持ちとして、まっすぐな自分でそこにあれますように。

今年は亥年です。 ゴーゴーです。

断る

昨年末から考え事をしていた。

あーでもないこうでもない。どちらを選ぼう。進むも進まないもどちらでもいいから決断の決め手となるもの探して何度も足を運ぶ。

普通に考えて良しとされる条件は揃っている。周りのみんなもいい話だという。何も問題がない。問題がない。そして必要とされている。評価もされている。なのに踏み切れない。引き受けるメリットなどいろんな理由を頭が並べて説得してくる。もっともだと思う。でも、でも、モヤモヤが止まらない。なぜだなぜだ。タノシクナイ。 ぎょぴーーーーーーーーー#@/&_/&@ プシューーーー。

どんなに頭が納得する条件を揃えても、決断できない時、それはもう断る的確な理由は見つからなくても引き受ける事はないときっとこころは決まっているのだ。 言いにくいが、それだけのことなのだ。

逆にどんなに条件が悪かろうとピンと来たらやるでしょ私。もうわかってることなのに。

問題は「断る」事への私の思い込みが根深かったこと。 私が断れなかったのは、断ることはよくないことだと強烈に思い込んでいるからなのだと気づく。それも、私を必要としてくれ、評価もしてくれ、やればできる仕事で、みんないい人。よくしてもらっている。なのにそれを断るなんて人間失格だ!大人失格だ!ピンとこないというだけの理由で断るなんて私は最低だぁぁぁ!と、私は思い込んでいるらしいと気づいた。

必要としてくれてる人の頼みを断ることがこわくて、明確な何かで理由をつけたくて、ならばと「やりたい」と思えるようにピンとくる何かを探したり、徹底的に「嫌だ」と思える何かを探してみたり、でもそれが見つからず、理由もつけれず、決断できないでいたんだとわかってしまった。

そうか、そうか、もやもやは迷っているのではなく、もうこころが決まっているのに「断る」ことが怖いのが原因だったのか。

ふぅ。なんてこった。 私の弱いところだ。断ることは強烈なストレスなのだ。でも逃げずに誠心誠意、断ることをしよう。 曖昧な返事や先延ばしは失礼だ。こころは決まっているじゃないか。やるのだ。腹を決めるのだ。われ!

丸一日かけて文を考え、お断りのお返事をした。震えた。胸がぎゅーんとしてしまう。こえぇ。

何のことかと言えばこれ、転職のお話である。フツーの転職話なのである。

一度お話を聞く機会があり、今よりとてもいい条件でお仕事のお話をいただいていたのだ。何度か見学させて頂いたりいろんなお話をさせて頂いた。なぜかとても評価してくれ、ぜひ来て欲しいと熱心にお誘いいただいた。とても嬉しくてありがたかった。でも、やりたいと思えなかった。そこがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ、私がやりたいと思えなかっただけである。

冷静に考えれば、ごく普通のことである。このお誘いを断ることもひとつの選択で向こうも承知の上だと思う。断ったからといっても特別なことというわけではない。

なのにめちゃくちゃ怖かった。 これは気づき。うやむやにしなくてよかった。私は大切な人からのお願いを断れない弱さがある。 それは過去の経験や、断ることを悪いことと思ってしまっていることと、恵まれていて出来るのにやらないとは贅沢だ、あとは嫌われたくないという想いなのだと思う。期待を裏切りたくない。いい人でいたい。断る=終わりって思ってて怖かった。

いやいや文字で書くと思い込みがはげしいな。なんてこった断るを決めた時から自分を責めすぎてしまったようだ。断るは答えの中のひとつでしかないのに。

でも今回モヤモヤしすぎて私は私を見て見ぬふりができず、悩んだ末に断る決断をすることとなる。それはちと苦しいがとてもうれしい傾向だと思った。

こわいけど断る。 断るのは、人ときちんとコミュニケーションをとることの1つ。そう言い聞かせて、少し時間がかかったけど、自分に嘘をつかなくて、しっかりと自分に正直になり断れたことにホッとしている。よかった!

先方からのお返事は、これからの活躍も期待しています。また会いましょうね!というようなものだった。

何も問題なく終わった! 何でこれに傷つく必要があろうか。わたしは何を怖がっていたのか。ありがたいお言葉! もっと人を信頼しようよ。わたしのばか!

感謝の気持ちを伝えて今日が終わった。 脱力。

今回の転職騒動をきっかけに、わたしはのらりくらりしていた自分の人生についてよーく考えることができた。今の仕事のことも本当に大好きだと思えたし、 そして、今後新しいことをするのもいいな!と心から思ったりもしている。今回は転職には至らなかったけど、もっと視野を広げてみようと思えたうれしい出会いだった。 私は今、好きな仕事ができていて、うれしい。そして、これからもどんなことができるのか、楽しみだ。

まとめ。

今回できたこと) 自分に嘘をつかないこと。 断ること。

教訓) 断る事は悪い事じゃないよ そして、自分と人をもっと信頼しよう。

そういえば去年一昨年あたりから毎度ぎょぴーーーーーーーーー。となりながら、自分のモヤモヤに従い大なり小なり「断る」を練習している気がする。 そして、ピン!にもぎょぴーーーーーーーーー。となりながら正直になる。それを繰り返している。

目下「断る」の初心者コース特訓中なのだ。 今はそれにとても力がいるけど、これも私。

これからも自分のピンピンアンテナを磨き、いつの日か軽やかに迷わず断ったり受け入れたり突っ走ったりしつつ、いかなる時も正直にいきたいものです。

おわり

と思ったらつづく。。。

ゾウと白と黒とグレーの小鳥

朝の通勤、信号待ち、ポーッとしてたら後ろでコツコツ、コツコツとこもった音がしたのでなんだろうと振り返ると、後部座席の窓に小鳥。。! まさか鳥だとは思ってなかったし、窓も開いていないそんなところに止まれるのかとびっくりしていたら、雨よけに飛び乗って車の上に乗った。 そのまま飛んでったのか、まだ屋根に乗ってるのかわからないけど、信号が青になったのでゆっくりアクセルを踏んだ。もう飛んだのかな、まだ乗ってるのかな。 はぅ、めっちゃ近くで鳥と目があった。びっくりしたけど可愛かった。白と黒とグレーの小鳥だった。なんだったのかな~とりあえず、安全運転になったよ。

そして昼休み。今朝はゆっくりしたのでお昼準備しておらずごはん求めてコンビニへ。土曜はラジオでいい感じの昔話をきく聴くのにはまってるのでFMが付いていたんだけど、なんか助手席に置いてある昔のCD達が気になっちゃって一番上のを取ったら星野源だった。友達にもらったやつだ。星野源大好きになっちゃったやつ。くだらないの中に・ブランコ・湯気・くせのうた・・・久しぶりに聴きながらしみじみドライブだい。

時間が過ぎるとわかるなんでもない毎日の なんでもない当たり前、もしくはいやになる喜怒哀楽さえ、それが幸せのど真ん中。って気づくまでの時間差。それが短くなればいいのに、そしていつかなくなればいいのにってたそがれつつ、こんなたそがれもど真ん中なのかいね。だから、それはひとまず忘れて毎日を思いきり喜怒哀楽して、あとで幸せだったと言おう。そうしよう!

そんなこんなでコンビニに着いてドアを開けたら、白と黒とグレーの小鳥がいた。もしかして朝からずっと屋根にいたの?と思ってびっくりしてしまった。きっと違うけど、もしかしたらそうかもしれない。そう思ったらとっても楽しかった。なんというか、ゾウにでもなった気分だった。

もし私がゾウになったら小鳥を乗せて歩きたいと思っていた。飛べるはずの小鳥が、ゾウみたいなゆっくりな歩みと共に行くのがいい。だってゾウがすきなんだよきっと。

もし小鳥になったら、ゾウを見つけてとまりたい。だってゾウがすきなんだよ。

今日は小鳥のせいで、そんなことを思い出したよ。

おわり。

もらうこと

もらうこと

ものを受け取るということ

もらうことって、なんだろうなと思う

あげるひとがいて、もらう人がいて

あげたいと思う心があって、ありがとうと受け取る心がある

いつも、私を気にしてくださるuさんという方がいる 仕事で月に一度お会いする中でその人柄にふれ、私もとても慕っている方。 30以上年の離れた私をきっと娘のように思ってくれていて、可愛がってくれるのだ。うれしい。 いつもお花を分けてくださったり、おかずを届けてくださったり、お出かけすればお土産を買ってきてくれる。私、人にあげるのが好きなの!気にしないでね!と本当にびっくりするくらいたくさんの食材やお土産をくれるのだ。いつもuさんと会った後は両手いっぱいにお土産を持って帰ることになる。手作りの煮物、サラダ、季節の炊き込みご飯、明日のお弁当の分とお母さんの分、と分けてくれてタッパーに詰めてある。それから季節の果物、野菜、お花、苗、冷凍食品、時には下味を付けた生肉、それから花瓶まで!

私はuさんから、「受け取る」ということをたくさん経験させてもらって、それを素直に喜ぶことができるようになったんだなと思っている。

ついこの間も、朝職場に電話があり 今日のお昼休み、よかったら食べにこない?とランチのお誘いをいただいた。私はふたつ返事ではーい!と答えて、持ってきていたお昼用のおにぎりを仕事前に口に詰め込んだ。お昼はuさんのごはんを食べるのだ♪

午前の仕事が終わってuさんの家に行く その日は12月26日 ふふふ。実はわたしも今日連絡をいただく前から仕事帰りにでもuさんのお家に行こうと思っていた。

いつもサンタクロースのように周りの人に贈り物を届けているuさんに、クリスマスプレゼントを用意してあったのだ。お揃いのハンドウォーマーと星の形のチョコレート。hohoho! いつも、お礼は何にもいらないからね。と呪文のように唱えているuさんも、サンタさんからの贈り物なら喜んで受け取ってくれるかなと思って準備していた。 プレゼント、どうやって渡そうかな?ポストに入れておこうかな。どこかに隠してこようかな。そんなことを考えながらクリスマスカードを書いた。

そう、いつもわたしがどんなにお礼をしたくても、uさんはあまり喜んでくれない。いいのよいいのよ、そんなつもりじゃないのよ。困るわぁ。といって暗い顔をする。 それは、いわゆるものをもらう時のおきまりの言葉なのか、本当に困るのか、いつもわたしにはわからなかった。何かくれる度に、お礼はいらないからね!と念を押してくるuさんに甘えて素直に応じていたけど、でもわたしだって感謝の気持ちを伝えたいし、何か贈れるものがあったらあげたいな、と思う。それにもしかして、いらないからね!というそれは、ダチョウ倶楽部の押すなよ押すなよ、みたいなものかもしれない、と冗談半分時々思ったりもしてたのだ。 とどのつまり、普段から無礼なわたしもやっぱり、だいすきなuさんにはお礼をしたくなるのだ。

玄関の前にあった生協の箱の上にプレゼントを置いて、ひとまず手ぶらでおじゃましまーすした。今日は和風パスタを作ってくれるみたい。待っててねと言われ、何か手伝います!と言いたくなるのを飲み込んで、何も言わずにカウンター越しにそれを眺めたり、昼のニュースを見て過ごした。出来立てのきのこと菜の花のパスタと、アボカドのサラダと、筑前煮とスープ。あとお漬け物をふたりで一緒に食べた。おかずは昨日の残り物とのこと。そんなこと関係なくどれも美味しかった。昨日はクリスマスで人が集まったみたい。このところ忙しかったのよ、とお話を聞かせてくれた。今日やっと時間ができたから、思わず呼んじゃったの!って。

うれしい。

テレビを見て、おしゃべりして、ごはんを食べて、お土産をもらって帰る。 いいのか?ほんと甘えるばかりの私。 時々よくわからなくなる。でも、私たちは親しみを込めて、季節に一度くらいずつ一緒にごはんを食べる。

この日は、多めに作ったパスタと、お漬け物と大根と煮物と冷凍のパエリアセットとどこかのお土産のハムとそれからそれから冷凍したチキンと大根に魚が挟まって麹につけてある名前を忘れてしまったどこかの郷土料理や菜っ葉を袋に詰めてくれた。 サンタのつもりが、やっぱり今日ももらってしまった。こんなにたくさん。何もお買い物しなくてもお正月を過ごせてしまう。

あっという間にお昼休みも終わりの時間になってしまった。お礼を言って帰ろうとしたら玄関まで見送ってくれた。やさしいな。 そしたら生協の箱の上の包みにuさんが気づいてしまった。あ、なんか照れくさい。 よかったら使ってください。プレゼントです。いつもありがとうございます。と言って帰った。

えへへと途中で振り返ったらuさんは、いやだわこまるわ、とどこか暗い顔をしている。 なんでだろう。嬉しくないのかな、わたしに気を遣わせたと思ってしまうのかな。なんだろう。なんだかどこか申し訳ないような気持ちになった。

しばらく考えても答えは出ないのだけど、その日の夕方、職場にuさんが来て、何も言わずにゆずを置いていってくれた。

プレゼント、喜んでもらえたらうれしい。でも、見た感じ、あまり喜んでいないぞ。気を遣ってるだけで本当は喜んでくれてるのかな。でも、あまり嬉しそうではない気がする。なぜだろか。 そういえばこれまで何度かわたしが手土産を持って行ったり、いただいた布でバックを作ってお礼した時も、わたしの想像するより全然喜んでなかった気がする。その後、それについてふれてこない。なぜだろか。

uさんにお礼をしたいのは喜んでもらいたいから。でも、1番喜んでくれるのは、お礼するよりわたしがごはんを食べたりおみやげを持ち帰ることみたい。 もらうだけって、時々大変だ。お返ししたくなる。 でも、何もお返しせずにもらい続けることが人を喜ばすことがあるからびっくりする。

あげる人ともらう人の役割がはっきりしすぎているuさんとわたし。

ねぇ、あげるともらうはもしかしたらおんなじことなのかな。あげるももらうも、おんなじだとしたら私はこのままでいい気がしたのだ。 受け取る人がいないと与えることができなくて 与える人がいるから受け取ることができる。うーん、そゆこと?

とりあえず、uさんがわたしを呼び出してくれるとわたしはしっぽを振って喜んでいるということは間違いなく。もし、受け取ることで喜びを伝えられるのならこれからも受け取ろう。そう思う。

そしてuさんも私の「気持ち」を受け取ってくれたら、それで嬉しい。

大晦日の朝の夢

夜明け前のまどろみの中、夢を見た

むらさき色の丘が広がって、 切り拓いて中に入っていくと 中には黄金色の世界 密度の濃い黄色が光ってる

ため息が出ちゃう美しさ きれい。ここはどこだろう

 

あ、そろそろ夢から覚めそう、やだ

しっとりと そしてホクホクのこの世界にもう少し

。。。。。ん?

。。。。。

。。。なんだこれ、焼き芋ぉぉぉーーーーーー!!??

と あわてて目が覚めた大晦日の朝

後から笑けてきた夢の話でした。

焼き芋をアリが見たら、あんな風なんだろね

こんな調子 明日の初夢はなんだろな。

おわり

山の輪郭と色のない空

夕焼けは見逃し、暖色の消えた薄暗い5時過ぎの、西に向かう帰り道 山の輪郭がくっきりとくっきりと浮かび上がっていてはっとする。

日が沈んだあとしばらくした空の色は、名前のつけられないような不思議な色で、決して夕暮れ時の美しさや夜の始まりの濃い青もない。太陽はもうどこにもないのにまだ西の空だけはどこか明るくみえる。雲があるわけでもないのに薄く白く濁った色のない色。暗くて明るい、言葉にならない色。

でも山が真っ暗だからこれから夜だとわかる。向こうの向こうに太陽が沈んでいったんだ、と思う。

この色の空に山がなかったら、どんな感じなんだろ。夜でも昼でもない、不思議な空色だ。

山はといえば、これが山だと知らなかったら山ってわからないくらい輪郭だけくっきりと空から切り離されて、切絵みたい。そのまま進んでいったら空のないトンネルに落ちそうなくらい黒い。 太陽を背にするとこんなに暗いんだ。あの山は夜と昼の境界線。

その全部をひっくるめて、少しこわくて、とてもきれいな一瞬だった。 これは山に囲まれたここならではの景色なのかなぁ。

今日はとんでもなくいいお天気だった。 12月って忘れちゃう。

けど、この美しい山の輪郭を見ると、

ピリリと冬だなぁと思う。