【歯列矯正】前期終了。検査とレントゲン

歯列矯正をはじめたのは2018年。

5月6月に親知らずと左右4番の歯の抜歯をしたので、それから1年が経ちました◎

そう、振り返ると昨年の今頃、私はゴロミでした。

参考記事【参考にはならない】

笑。

更新が滞っておりましたが、矯正も順調です! 一年とは過ぎてしまうとなんて早いのでしょうか。始まる前はあんなに果てしなく感じていたのに! はじめの一年を乗り越えたことは、矯正期間の90パーは終わったんじゃなかろうか。 そんな風に感じてしまう今日この頃。

もちろん、これからのことはわからないけど、今そんな心の余裕に自分でびっくりです。 この一年を経験したから、もう今後時間に対する心配はなくなりました。 案ずるより産むが易し!はじめれば、動きだすんだなぁ。

はじめられたことが、うれしい。

ケルトン before after

この3月には、一年の経過を診るために矯正を始める前に受けた検査をし、写真やレントゲンを撮りました。

ケルトーン!笑

スケスケの自分を見るのは、なんだかとても。。おもしろい!

自分の体なのに直接見ることができない中の部分をこんな形で目にして、なんか神秘! 頭蓋骨とか背骨とか、歯じゃない部分までじっくりと。すごいな。すごいな。 こんなんなってるんだ。

右が1年前 左が今です。違いを見つけるのが楽しいです。

そしてこの日、先生からはお褒めの言葉をいただきました。

一年とは思えない、はやい!困った!こんなに早くちゃつまらないでしょー(笑)と冗談も! (先生ってば。ちなみにこの時はまだ実質1年はたってなく10ヶ月の時です)

つまんないからもっとゆっくりいきますか?と言われた時には、いやいや!!つまります!早く終わりたいっす!!と真顔で訴えました。 最後には、このまま早ければあと一年くらいで終わるかもよ。と!

短くても4年。と言われていた予定の、なんと半分で終わるかもしれないという見立てをいただきましたーーーーぁぁぁぁ!泣

我が歯たちよ。よくやったぞーーー!すごいぞーー!ありがとうーー!!!あの痛さは、歯たちの頑張りのしるし!

わーー!あと一年、本気で頑張るーー!

10ヶ月が経ち、イイ感じのモチベーションを保つためには、この日の検診は最高のタイミングでした◎

がんばろっと。

春の雪 私の2週間のお天気

穏やかに4月がはじまったと思ったら、桜の上に雪が降る。 今年の春は、めまぐるしい。

新しい場所にきて、2週間がたった。 4月に入ってからの私の情緒は色々でなんだか心がいそがしかったと振り返っている。

張り切ったり、アドレナリン多めだったり 落ち込んだり、不安になったり 嬉しくて大喜びしたり だんだん怒りが出てきたり それをパワーに腹をくくったり また不安になったり それからまた立ち直ったり

それは今思うとこの春のおかしなお天気のようで、天気に左右されて浮き沈んでいたのか、逆にまさか私の心が天気に表れたのか、まさかまさかなんて今、穏やかな休日にゴロゴロしている。

まったくほんと調子がいい。一日ごとのご機嫌の振り幅よ。 2週間であれこれ浮き沈んで巡ってそんな自分をどこか笑えている。

この心の変化をひとつずつふつーに感じれたことが嬉しかった。不安や怒りや喜びやもやもやまで。 無理くり消さずに。 1日の終わりに、今こういう気持ちです。とただ思う。 今日の天気は雨ね。とか、晴れたなぁ。 とかとおんなじに。

それをそのまま感じていいと思っている自分を知ったことが喜びだった。

雨も晴れも、春夏秋冬も、朝昼晩も、どれにも良いも悪いもないように。 ただ雨で、ただ晴れで、春で夏で秋で冬。 朝で昼で、そして夜なのだ。

好きや嫌い、得意や苦手はある。 でも、ヨイとワルイとは違う。

私の中のひとつひとつの感情もきっとそう。 そう思っている。

それは喜びなのだった。 それはたぶん二つの種類の喜びで、言葉でうまく言えるかな。

悲しいも、寂しいも、くっそー!も、ただ、それであって。 なんだか時間差で、いや、同時に? 喜びでもあるのだった。 だってうれしいが、たのしいが、やったー!が浮き上がるのだ。

浮かび上がる。

環境が変わったことで、これまでの場所への感謝が浮き上がる。大切なものが浮き上がる。それを失った悲しみかと思ったら、同時にそれがある喜びか浮き上がる。 嫌悪感を覚えたら、同時に自分の好きや心地よいものが浮き上がる。それを求める心が浮き上がる。

私が苦手だった悲しみを伴う感情も、その湧き出た瞬間にふたをせずにふつうに見てみると、いつのまにか私の前を流れていった。 ある、あるあるけど変化していく。

朝が来て、夜がくる。 雨が降るとお天気がうれしくて、お天気が続くと雨を恋しく思うように。 どちらかがあるから、どちらかが浮かび上がる。 夜なのにいやこれは朝だなんてと思い込もうとしたり、雨なのに私には降ってませんからなんて言っていたら、何にも見えない。 夜の美しさも朝の空気も、雨の癒しも晴れの喜びもどちらも沈めているってことだ。それはなんとももったいない。

どれにもふたをしなくていいんだね。

そのときのただ変化していくそれが、わかった。それがもう一つの喜び。 悲しみもまえより悲しめる。おこりたいとき、くっそー!と思える。どこか安心してる。 1秒ごとに変わっていく心境を許す。くっそーと思ってもいいって、思ってることが自分の中での安心になった。

私はおこる人が嫌いだった。 でも、今はおこる人を見るとそれに時々傷ついたり共感はできないこともあるけど、それ!それそれそれ!!そうか!と思うことがあって、あなたは、そうなんだね、そうなんだね!って。今、怒りを感じているんだね!って、内容じゃなくてそっちに共感してしまうことがある。 意見の相違があるのに、どこか感動している不思議がある。喜びも悲しみも同じく。

その表現の仕方は、やはりひとそれぞれのセンスがあるけど、鮮度よく表現できる人はほんとに素直でかわいらしく気持ちがいい。

私は漬けタイプだった。鮮度の悪さを醤油でごまかす。(たとえが微妙。漬けはうまいし醤油は最高だ)笑

でも、だんだん苦手だった感情を、苦手だけど見てみるよとりあえず、と思えるようになっていった。うまれてここにあることは消せないもんね、しょうがないか。と。 半分諦めでもある。ころころ変化する自分を許せるようになってきたみたい。 自分をどんな聖者だと思っていたのだろうか。 36年も生きていたら知っている。自分のあれこれ、あんなことやこんなこと、もう隠せなくなってるということ。自分に。 そして知っている。まだまだまだまだ自分でも知らない自分がいるだろうということ。

なんてこった。 漬けもよし、刺身もよしのそれもふくめて。 反省や後悔だってしながら、同時におもしろがりながら、それを経過としての今と、今を経過としてのじぶんを楽しんでみたいと思うのであった。

一日を終えるとき、素直な気持ちでこころをみつめて、夜を眠る。 朝起きたら新しい一日の始まりで、いい顔でおはようをするのだ(^^)

新しい環境に身を置くことでわかってくる自分自身についてと、4月おつかれさま。お天気とこころにいいも悪いもないのお話。

2019.4.15

風と鳥 昔の記憶

朝、仕事場に向かう道 環状線にある緑と白の吹き流しがぱんぱんに真横になびいていた。あ、なびいてはなかった、とまってるかのよう。真横になった綿菓子の袋のよう。

それくらい強い強い大きな風が吹いていた。

風に煽られながら車を走らせていると、1羽の鳥が目に飛び込んできた。なんと、浮いている! 鳥だから浮いていていいんだけど、全然前に進んでないから宙に浮いているみたい。 パタパタパタとまるでゼンマイ仕掛け。高く空を飛ぶ鳥でこんなにパタパタしてるコいたかな。 羽を上下に動かして、風に向かって飛んでいる。風が強すぎて、前に進まないようす。パタパタパタ。パタパタパタ。

がんばれがんばれ。

パタパタパタパタ。。。あれ。

ねぇ、鳥。 絶対楽しんでるよね。

風に乗ればいいものを、委ねることもできるだろうに、わざわざ向かっていくってさ。 今すぐに風上に行きたい!絶対行かねば!っていう理由があるのかい。 ねえ鳥。わけがあってもなくてもいいけどね、きっとない気がするのだけどね、ただ風に向かって飛びたいのだね。

ねぇ鳥。 おまえ!おまえってやつは。

風に突っ込もうとして跳ね返されて、それでもパタパタ浮いている鳥から目が離せず、無風の車内から眺めていたのでした。

そのあと、もう一羽、風に挑む鳥を見たおもしろい朝でした。

ばたばたとあっという間に忙しい1日が終わって、一息ついて外に出ると、そとは薄暗くまたまた冷たい風。 うぅぅ寒い寒いと声を出し体を縮こませた時、顔に当たる強い風の感触とともに朝の鳥が頭をよぎり、それから子どもの頃の思い出がファ!と蘇ってきたのです。それはそれは突然に。毛穴の奥の感覚までも引き連れて。

小学校のグラウンド

強い強い風 両手を広げたら飛べそうで、調子に乗ったら飛ばされそう

強い強い風 ごーごー唸って自分の声さえまともに聞こえない 友だちに叫んでも遠くの遠くにいるみたい

体が風を受けて押されるから 負けないように前のめりになって

ぼーぼーと耳が鳴るから ついついわーーーーーーっと声を出す

どんなに大きな声を出したって 小さく聞こえるふしぎ!

いつのまにか、そこには風とわたしだけになって そこにいるはずの誰かも目に入らなくなって

わーーーーーーー!!!!

とか、あーーーーーーー!!!!とか叫んで風に向かって全速力で走りだす

全然前になんて進まない 口の中にも目の中にも風がぶつかって

体の前側の全てで圧を感じて 気持ちよくておもしろくて少しこわくてでもすんごく楽しくて、なんだか最高で

風圧!ふうあつ!

大きな声を出しても出しても風がどっかに飛ばしてしまうし 走っても走っても走れない!

広い広い校庭を夢中で進んでどこからどこまでが風なのか、いつからいつまで風なのか、 私の体がここにあって、風が当たっている!それがどうしようもなく楽しくて、うぉーーーとなんだか喜んで喜んで

風の真ん中で遊んだある日の記憶

走って走ってもう息できない!って きゃーっと言いながら後ろを向いて丸まると 突然ここに空間ができて、はぁはぁと息をして、自分の予想外に大きな声を聞いて笑った。

背中は強くて、平気な顔して風をうまいこと躱してる。

前と後ろの体感の違いよ! そして今度はそのまま走ってみる。追い風のときの風の友達感!ぐんぐん背中を押して、体が軽くなるおもしろさ!自分の体がこのまま飛んでしまうんじゃないかとどこかで思わずにはいられなくて、ドキドキしていた。楽しくて自然に声が出る。走る走る。おそるおそるでも思い切ってジャンプする!

自分の呼吸と風が耳によく聞こえて笑ってしまう。

鳥よ! 思い出したぞ、風のおもしろさ

今朝のワクワクはこのときの記憶

あの広いグランドを風と遊んだ記憶

あれを知っていたことが嬉しい

そうだった 向かい風のおもしろさ 追い風の勢いと心地よさ

どっちも同じ風で こちらは喜んで遊んでいる

あーすきじゃんか 追い風も向かい風も!

体がゆるんで冷たい風が、心地よく滑っていった

さて帰ろう とても疲れているけれど、強い風が背中をどーんと押した気がしたよ

今日も一日ありがとう

調子に乗って車まで小走りしたら、すぐに息が上がった夜のこと

はぁはぁ。 あはは。

あの鳥は今ごろぐっすり眠っている。

年齢のはなし

年齢ポイポイ (↑すててる音)

そんな風に思って書き始めたけど、本当のこころは少し違う 年齢に振り回される無駄な思考を捨てるけど、年齢は愛しているということ それが本当の気持ち 目の前の人のひとつひとつの今を祝いたい もちろん自分の今も。

0歳も3歳も6歳も15歳も19歳も26歳も36歳も50歳も68歳も80歳も、その時同じにすばらしい。今のその人が愛おしい。それだけ。その瞬間。

だから、やっぱり年齢という考え方を捨てるとも言えるのか。 よくわからないけど、どっちでもいいか。

人間には年齢を理由にできない魅力というやつがある。 年齢はただの数字だった。 その年月の中にあるものの価値や重さは人それぞれで、むしろ価値や重さなんてものはなくて 1年は、1で測れないんだ。

若さがいちばん? 歳を取りたくない?

yes!そうともさーー。(切実) 若くいたい、歳はとりたくない。

でも、それの本音の本音は、毎年迎える誕生日のことじゃなくて、数字のことじゃなくって、 私、魅力的でいたい!っていう素敵な希望なんだろうなぁと、思う。 だから、数字の大小や若さというワードに惑わされずに、魅力あふれれれたらいいよなって思った話。

魅力あふれれれれてるひとに会って、私も今をあふれれれれたいなって思うんだよ。 過去から見たら今が1番最年長で、未来から見たら今が1番若者だ。

いまのわたし、足跡36こ。 歩いた場所、見てきた景色は、私だけのもの。

* *

いちばん上の写真は、0歳から70歳のわたしの家族です。 げんきに動く影を見て、みんなで笑ったしあわせな時間でした。

昨日は一日家族と過ごしました。 天気も良くって、日中は広ーい公園で遊んだよ。

おしゃべりな3歳の甥っ子は、ちゃんとついて来いよな!って誰かに言って走っていった。 誰かと思ったら、じぶんの影とおしゃべりしてたんだ。

* *

今回は年齢について思ったことぽつぽつ書いてみた。 少し寒い、花冷えの今日のこと。

おわり

【歯列矯正】はじめて1年の今の気持ち。

歯列矯正を始めてもうすぐ一年が経ちます。

(検査のため歯医者さんに通い始めた日から一年。ブラケットをつけ始めて10ヶ月)

大人の矯正ということで、数年単位の長期戦を覚悟して途方に暮れつつも、えいやっ!とはじめたのだけど、過ぎてしまえば1年はとても早く、あっという間に感じてる不思議。

今の正直な気持ちは やってよかった。これに尽きる。

まだ終わってないし歯の位置はまだ行ったり来たり、日々痛みや煩わしいことはたくさんあるけれど、それでも歯が揃ってきているのは一目瞭然で、はじめてよかった!という気持ちになります。

やはり、揃っていく歯を見るととても嬉しい。

苦しそうな場所に身を潜めてた歯たちが、徐々に前に出てきたり、飛び出してた歯が真っ直ぐ落ち着いたり。抜歯をした跡も隙間ももうわからないほど治癒し、埋まってきました。 やはりきれいに揃うのが本当に待ち遠しい。歯並びの悪さも込みでこれが私だと知らぬ間に歯に対する想いを丸め込んでいたけれど、こんなにも私は気にしていたんだなと、なにか心に引っかかっていたものがホロリと。今はきれいになりたいと、素直に願います。

そして、おぉ我が歯たちよ、こんなに動いたのかぁ。そりゃこれまで無理があったよね、でももう大丈夫!さぁ解き放て! みたいな気持ちで応援している次第です。

針金でキチキチと締められたり引っ張られたりしているけれど、健気にどんどんどんどん動く歯にどんどん愛着が湧いてきます。いままでコンプレックスだったのにね。 でかくて、飛び出て、あべこべの!立派な歯! このままどんな変化を遂げるのか、この目でしかと見届けたい。 終わった暁にはその歯を称えて、ビッグスマイルかましたい。りんごを丸ごとかじって、気持ちいい歯型をつけて笑いたい。 変化するのは大変だけど、希望。 痛みもあるけど、喜びも大きいだろう。と楽しみです。

前回書いたけど、痛みについても先生と相談してから毎回の不安が和らぎ、痛み止めの薬も飲まなくて頑張れるようになりました。 矯正はこれからも長く続くことなので、痛みや我慢、不安が多く重なるとしんどいです。こういった小さな気持ちを聞いてくれ、対応してくれる先生と進めて行けることが嬉しいな思います。

やはり、伝えてみること、とても大事◎ そういうことも、歯に教わるのなぁ。

これは根拠もない想像だけど、もしかしたら知らず知らずのうちに食いしばっていた色々を、歯が代わりにあの手この手で飛び出たり引っ込んだりしながら支えてくれていたのかもしれないなぁ。なんて、勝手にそう思ったりしています。なんと健気な。ありがとう。 もう、食いしばらなくて大丈夫!

針金を外す日が待ち遠しい。 きっと針金を外す日が来たらさ、でこぼこの歯を隠すこともなくなって きれいな歯型をつけてもりもりすきなものたべて、喜びがもっと透明になるね。

楽しみです。

2018.5と2019.3月の写真を比べてみた。

この間10ヶ月! 10ヶ月でこんなに揃いました。う、うれしい。

先日歯医者さんに行ってきた記録はまた書こう。


ばくだん

めくるhttps://ahaha-sunday.com/mekuru を書いた後からすごいスピードで動き出した現実。でもわたしは落ち着いていて、急展開に心は追いつかないどころか、全くの迷いすらない。

愛が流れ込んでくるという体感 それは、全ての感情の先。 流れ込んでいたんだと、溢れ出していくんだと 全てがその流れの中の一瞬なんだと

そんなふうに感じ、喜びでいっぱいです。

不安はあるけど迷いはない。 こわさもあるけど、大丈夫。

別れって、あいのばくだん。 また、私にあいのばくだんを残してくれたそんな人と出会えていたんだと、なんていう世界なんだと、1人になるとあいのばくだんがばくはつして、過去にも未来にも今この瞬間のありがとうが溢れてくる。

そして今、たくさんのばくだんを抱えたわたしの目の前にあらわれた、これまた唯一の人に 私はたくさんのあいのばくだんを仕掛けたい。

今度はわざわざお別れなぞしなくとも、もったいぶらずに火をつけて、ぜひとも一緒にいるときに、ドンドンドカンと打ち上げて、きれいな花火を見たいんだ。 一緒に打ち上げて、きれいだねって、そう言えたなら、もしかしたら暗闇が、全てが明るく見えるのだろうか。 その時は花火を空に感じながら、その下の明るく照らされた世界を見てみたい。

隣にいてくれる大切な人の横顔を見てみたい。

☆彡

カラダ中にばくだんがあることを知ったのは、おばあちゃんの残したあいに包まれたから。

あいのばくだんの話http://ahahami.hatenablog.com/entry/2017/05/08/001458

ふきのとうが顔を出したよ もう、春がくるね

めくる

年が明けてふと、年末にした友人との会話を思い出してた。

その彼女は大人になってからの貴重な友人で、もう家族のような大切なひと。互いの生活環境が変わる中でも相変わらずの仲。昔みたいに頻繁に会うことは減ったけど、会うたびうれしい。飼い猫になりたい。養子にしてほしい。クローゼットとかに住もうと思っている。実のところ友の旦那にはライバル心しかない。ふふふ笑

彼女は私の知らない方法で私を面白がってくれる。私も私でそういう彼女を面白がっている。これぞ相思相愛。

出会った頃フリーだった彼女も、結婚して今ではお母さんになった。 子どもを膝で寝かしながら、相変わらずわたし達は夜更かししてストーブの前でゴロゴロしながらおしゃべりをしてた。 彼女は言った。みゆさんがどうか早くいい人と結婚出来ますように、幸せになれますようにと勝手に強く願っていたけど、少し前くらいからそれは違うのかもしれないって思うようになってさ。と。 そんな風に思っててくれて嬉しいな、と思うと同時に、後半部分はあははなんだそれ、でもうん、なんかわかる。って思った。 その後続けて、みゆさんはいいかんじだ。みたいなことを言った。 だから結婚しなきゃ、とか、子ども産んどいた方がいいとか、なんというかそう言うんじゃない。そういう原動じゃない。そうなったらそうなったでいいし、そうじゃなくても別にそのまま、いいのだ。と、うまく言えないけど、みたいなことを言った。そう思ってくれたみたいだった。

うまく言えないし何も言わなかったけど、じんわりとわたしも共感する。うん、私もそう思う。そんでもってそう思って改めて口にしてまで伝えてくれる友が今隣にいることにありがたく思う。

今わたしはとてもしあわせなのだ。

確か、聞くところによると世間的にはイマイチである。 バツイチで独身で36歳。彼氏なし。仕事も正社員じゃないしキャリアがあるわけでもない。なんだこれ、文字にするとこわい。しかし事実である。書き出すともっとあるけどこのくらいにしておくとして、こんな私が幸せだというと一部の方にはつよがりもしくは負け惜しみ、はたまた現実逃避と捉えられることもあり。当の本人の感じ方との高低差におののく。すごい世の中じゃ。

しかしありがたいことに私の周りにはそう言う方はほとんどいない。 中にはつんつんってしてくる人もいるがみんなどこか優しいし気にしてくれてとてもありがたい。ごくたまに心配されちゃって返事に困ったり訳なく傷ついたこともあったけど。 でもね、このところ実は全然傷ついてない自分にも気づいている。みんな、自分から見た正解や幸せを通して私にふれているだけのことなのだ。

私もこれからどうなるかわからないけど、どうなっていこうとも、友とまたストーブの前であーだこーだと夜な夜な語り合っていくのだと思う。

書いておきたいと思ったのは ひとつのページをめくった気がしたこの冬のこと。

それは私の長くて短い恋の話だとして。人生のすべてのような気がしていたそのお話は、今ここから見ると、人生の中の1ページだったんだと知る。切ない気持ちとすがすがしい気持ちは一緒に並んである。とてもとても大切な1ページだった。誰も人の恋に共感などするすべはなく、話すことすら無意味に思えるが、たまらない日は話をして、かっこ悪くてでもそれが全てで必死にがんばったりして、凹んだりカラまわったり一喜一憂のたくさんの自分と押し合いへし合いして。

これらはすべて相手と私のやりとりだと思っていたけど、もちろんそうなんだけど、でももしかしたら、相手にふれて湧き出てくる自分と自分の間のできごとでしかないのかもしれないと思った。

おんなじ時間を共有しても、心も体も共感しあっても、絶対同じと信じても、本当のところすべてが重なっているなんて誰にも確かめられなのだ。

「こう思うんだ。」このこころを持っているのは自分だけというどうしようもない、だれにも理解されない、というか確かめられない孤独。それを言葉にするのはこわいことだけど、でも、それでも伝えられる喜びがあった。 最後のシンプルなところにたどりつくまで、ずっと見守られていた。私の心のひだから生まれる波、今が過去になっていく瞬間、私の今日まで。

神さまはいつもこうやってそばにいてくれるんだと思う。そばにいる大好きな人たちが痛みや喜びをもってそれを教えてくれる。

これを物語と思うなら、全体が見えないからこそ目の前の1ページにのめり込み、全力を尽くすことができる。それから、やっとの思いで自分でページをめくる事で、それが全体の一部だったと気付いて、納得するのかな。それは自分にしかわからない心の変化。

そこに答えがあるんだと信じて、気に入ったページだけを繰り返しひらいていたけれど、満足するだけ読み切ったらある日私はページをめくるんだ。今まで夢中で読んでいたストーリーは大切なままそこにあるけど、でもその続きをはじめようとページをめくったんだ。物語は続き、ページは移り変わって行くんだ。

それは尊くてちょっぴり切なくもあり、でもどこかしこ愛しくて、なんて楽しい出来事なんだろう。

そう言えるなんてきっと信じられないだろう、1年前の私。こころいっぱいのこれまでの自分。ペラペラと簡単にページをめくれない人。手あかがついて破れるまで読まないと前に進めない人。こんなの嫌だと思いながら馬鹿みたいに心を焦がして煙臭い自分のこと。今なら、それでいいじゃないかって思う。それしかできなかったし、それがしたかったんだ。

満足するまでひつこく読めばいい。それでいいんだ。

変化してから振り返り私はおどろく。速すぎてなのかノロすぎてなのか、その最中は変化してることなんかに気づけない。そういえば年末に健康診断したら身長が伸びてたよ。そんなの知らなかった。そんな感じか。

家族が増えたり、シワが増えたり、何かが減ったり増えたり変わりながら、いつの時も変わらずそれぞれの想いをしゃべりあってあそびたい。こころの奥のところに住んでるわたしの好きな人たちの幸せを想う。

今心につっかえる何かがなく、透明にこう思っている自分に感動している。

ページをめくったんだ。

ありがとう。

どんな物語が続くのかな。だれも教えてくれない。なんていうことだ。

こわい、けど、おもしろい。全部の中のたった1ページと知りながらも、またそれを忘れるくらいのめり込む物語をあそびたい。苦しかったのに、そんな風に思っちゃうなんて何て勝手なんだろう。でもどんなこともど真ん中なんだ。毎日はおもしろいじゃないか。なんて思ったり。(時々思わなかったりもするけれどもね)

これはまだまだ甘々なことをやってるから言えるタワゴトか。きっとそうかな。深呼吸して、いつもとちょっと違く見える変わらぬ毎日を今日もただ生きるのだ。何が起きても、大丈夫ね。大丈夫ばなくなっても、きっと大丈夫よ。それを忘れないために、ここに記録する。

家族、友だち、先生、大切な人に、みんなみんなにありがとう。

あなたと私の幸せを祈ることができるしあわせを、ありがとう。

確かめられないもの、それは確かにあるもの。

流れこんできて、知らぬ間にあふれる。

つづく