深夜のりんごはいい香り
夕ご飯もすんだ後、思い出してあわててカバンからりんごを取り出しました。
きょう、児童館にきてくれたおばあちゃんにジップロックいっぱいつまった、剥いてあるりんごをいただいたのです。
キレイに剥いてあるりんご。 四分の一に大きくきられたりんご。 変色していないってことは。。。塩水とかにつけてくれたのかな。 やさしいなぁ。
今矯正中でりんごをガブリといけないタイミングだったので、さてどうしよう。
そうだ、やわらかく煮てみよう。 深夜、思い立ってりんごを煮ました。 そしたら思いのほかいい時間となって、とてもうれしくて、ここに記録しています。
キッチンにゆっくり立つことが少なかった今週。 だから久しぶりに自分のためにゆっくり台所に立ったのでした。
おばあちゃんがくれたリンゴパワー。 おしりが重かったのに、どんどん楽しくなってきて。シナモンとリンゴのいい香りに幸せ気分。おおきなレーズンも入れたったど。 ごきげんに洗濯機をまわしたり、仕事もはかどりました。
私はなんとも単純なのです。おばあちゃん、りんごくれてまじありがとう。 おいしいデザートできた上に、家事まではかどったよ。
なぜかわたしにとって、りんごを剥くことや剥いてもらうことってなんだか愛情表現なんだなぁ。 食後にりんご剥こうか?っていうのは、もうちょっと一緒においしいの食べようか。もう少しおしゃべりしよう。だし 風邪ひいた時に、りんご剥こうか?っていうのは、だいじょうぶ?元気になりますように。だし
なんか赤くてかわいいし。 まぁ、とにかく我が家はよく、りんごを食べるのだ。おいしいもんね。
いただいたりんごがうれしくて、元気が出た話。やさしい人たちに囲まれて、しあわせもんです。
コトコトなべの中で、りんごはどんどんあまくなり、やわらかくなっていきます。
明日の朝は、ヨーグルトと一緒に食べよう ♪
おやすみなさい☆
不自然な会話、こころのことば
あちゃちゃ。
これまで聞きすぎてきた会話の決まり文句。 逆の立場になった時に、自分の口から同じワードがスルっと出てきてしまって軽くショックなきょうのことでした。
はぅ。もっと自然ににお話ししたかったなぁ。 大切に紡がないと、聞きすぎてインプットされてしまったのか会話文みたいにぽろりと決まりきったような言葉が飛び出してくることがあるんだなぁ。
気をつけよう スルッと言うくらいなら黙ろうか。
初めましてだとつい、あたりさわりのない反応をしてしまいがちです。 でも大切な人との会話こそ、そんな定型文を使いたくないな。そう思ったのでありました。
それと同時に、もしかしたら今回のわたしと同じように、そう言うつもりもなくても言葉に詰まったり、流れでポロリと会話をしてしまうことってみんなにもあるのかもしれないなって思いました。もうそれなら、それもひっくるめて言葉よりその人の心を感じて楽しく会話をしよう。と思いました。
そこにあるハートで、言葉の伝わり方は変わっていくんだと思うし、もちろん受け取る方もおなじなんだろうだなぁ。 同じ言葉を聞いても、不快に思う時と思わない時があるのはそういうことなんだろな。 言葉だけ切り取れば良さそうなこと言ってるのに、なぜかカチンときたりもやっとする人っているし、言葉はちょっと適切じゃないようでも、優しさが伝わってくる人もいるもの。
受け取るときも、受け取り方で自分のココロがみえるいい機会なのかも知れないなぁ。
またポカして、ポロリと言葉を間違えるかもしれないけど、そこにハートがあるように、それだけは気をつけて行きたいと思いました◎
*
わたしは時々こうやって勝手に言葉に振り回されて、言葉ほど曖昧なものはない、なんて極端なこと言いだしちゃうんだけど、そうやってあれこれ思いを巡らせて一周回ってくると、言葉ってなんて素敵なんだろうってところに落ち着くっていうループを何度か経験しています。笑
今回は、そのループを先回りしてまた言葉って素敵ってところにすぐおさまりました。
おとはとよとうがくっついて口から出るだけでコミュニケーションがとれるんだもん。すときがくっついて口から出ると、♡を伝えられるんだもんな。
言葉にして口から出すことで、自分の心を表現できる。言葉が伝わると人と繋がって届いて世界が広がるんだもんね。やっぱり言葉の力はすごいよなぁ。
大人になって知ったのは、伝わり方や受け取り方は100通り(人それぞれ)。みんな勝手に好きなように受け取るんだってこと。 自分の思うように伝わらなくて苦しいし難しいよと思っていたけど、それを繰り返して少しわかったことは、相手の受け取り方はわからないし選べないけど、自分の思いはひとつってこと。
それを、伝える。シンプルに。ひとまずはそれだけでよいのだということでした。 回りくどいわたしは、そうだね。シンプルを心がけよう。笑
*
さっきまで大きなお月さまが見えていたけど、今雨が降ってきました。ぽつぽつと音がします。 そろそろ、ねますか。
おやすみなさい。
トムヤムクンの夜
きのうはね、楽しい夜でありました。
夕食を食べようと入ったお店でのことでした。 お山の中にある雰囲気もお料理も好きなお店で、3度目の来店。今回初めて1人で訪れました。平日の夜だからか、タイミングなのか、お客さんは入店から閉店まで私ひとりだったのです。
貸し切り状態ではじめはソワソワ。 でも、店主さんの空気がいいのかなんだかのんびりと 結局待ち時間も食事の時間も、なんともいい時間を過ごすことができました。驚いたのは、2時間半も経っていたこと。 平日の夜、かしきり1人で2時間半居座るわたし。どんだけ居心地良かったんじゃろか。
お店についた時は歯医者さんの帰りだったので口の麻酔がまだ残っていていました。 様子を見たのだけどなかなか治らずすぐに食事ができそうになくて、、飲み物だけをオーダー。お食事は口が治ってからおねがいすることに。
麻酔がきれるまでしばらくひとりで本棚を眺めたり、ぼーっとしたり、店主さんに話しかけたりして過ごしました。 壁いっぱい、本が並んでいます。わくわくします。 今日はじっくり本を読む気分ではなかったので、変ないきものの図鑑や、世界地図をみたり、フリーペーパーを読んだりしました。ベトナムのお料理の本をパラパラとめくったりしてまたワクワクしました。
わたしは家族が大好きだけど、こうしてひとりになって家族と離れる時間がとてもすきです。 結局、この本はおいっこが気に入りそうだとか、この人おばあちゃんに似てるとか、そんなことを考えてる自分もいるのだけど。
おひとりさまの時間をなんとも自然にそっとしておいてくれる店主さん。心地ええです。 話しかけてもお返事してくださるし、優しいいい声だし。このお店だいすき。
ここにあるものはみんな店主さんの手にふれてここに集まっていて、今1つのお店として形になっているんだなぁと、ここにいるとわかります。それって最高。最高じゃないですか。
そんな空間に身を置くと人は心地いいんだと思う。その人のお気に入りが詰まった空間にふれさせてもらうとわたしはとっても嬉しくなるし、ワクワクします。 とってつけた違和感がないからかなぁ。人柄が伝わるのかなぁ。
今日は悩んだ結果、トムヤムクンを注文しました。 食事をしながらいつのまにかポツポツと他愛ないお話をして、魅力満点な店主さんのことも少し知れて、もっと話したい気分。でもお料理が美味しくてハフハフとまた黙る。の繰り返し。 やっと麻酔の切れた唇もトムヤムクンでまたピリピリして、刺激的でした。 熱くて辛くてどこかマイルドで、美味しくて美味しかったです。
麺を食べきったら、美味しいスープにご飯をいれて。おなかいっぱいで胸もいっぱい。(内緒だけどおかわり2回した)
外に出たら空には満月。雲が光って明るく、秋の空気がとっても心地よい夜でした。あぁ楽しかった。
なんか、昔本で読んだことがあるような。 1日1組限定で、その人のために美味しいごはんを作ってくれる食堂のお話。 おなかも心も満たすごはんを作ってくれるお店の、そんなお話なかったかな。
そんな物語に入り込んだみたい。平日の夜とは思えない、時間が止まったみたいな魔法の時間でした。
初めてひとり旅に行った日を思い出しました。いい思い出が蘇りました。うん、旅をした気分です。 なんかしあわせ。
素敵な時間に、ごちそうさまでした☆
月のきれいな夜のことでした。
大人が楽しいのは、自分を自由に選べるから
突然ですが 3歳には3歳の、36歳には36歳のその時の喜びがあるのだけど、36歳の良いところは3歳の自分も心に住んでいることなんだなと思いました。16歳も20歳も36歳もみんな心にいます。 どこでも自分で引き出せるのです。
どんな人にもペンギンみたいな愛くるしい時がありました。
それからニガイ甘酸っぱい青春も、大人に憧れたあの日も。箸が転がるだけで笑いが止まらなかった日も。ひとつひとつ乗り越えてきた苦しみも。
その昨日までの全てを内包している、はじめての今を生きているのだと思います。
当たり前だけど、70歳の人も、69歳までを経験したはじめての70歳を生きてるんだ。 今日を知らなかった昨日の自分と、今日を知ってる明日の自分は違うんだなぁ。 そしてどんな人も初めての今日。 そんなことを思って、はっとして。なんだか歳を重ねる面白さを、感じています。
私が魅力的と思う人は、 大人な存在感の中の、ある瞬間に純粋さや少年(少女)っぽい面が見える人です。男の人でも女の人でも。 遊びごころがあるひとをなぜか大人っぽく(というか魅力的に)感じるのは、その引き出しのスムーズさなんだろうなぁ。その人のこれまでがどこかそのまま光っているんだろうな。
そういえば、自分の中にある引き出しの存在に気づいてから、少し前よりその開け閉めがスムーズになって、そしたらこんがらがってた記憶やもう必要ないな、というそれは整理できてきたように思います。 そして、すっきりと、でも大切な自分はここにいてくれる気がして気持ちがいいです。
きっとどの今も初めてだから過去のことは関係ないのだけど、でも、経験という引き出しがある私も今の私なんですね。
ピュアな自分もまっさらな自分も、おばちゃん大人な自分も、優しいも、強いも、昨日よりひとつ増えた何かを、ふと必要な時に取り出して、自分や誰かの気持ちに寄り添えたらいいし、遊べたらいいな。と思うのです。
もちろんいらないものは、ありがとうとさようならして、はじめてのはじめましての今に全力で試行錯誤すればいい。と思います。
昔々のささやかで、何にも関係ないようなことがいつかどこかで誰かや何かと繋がったりもします。それでも毎日初めましての今日を生きれることを、おもしろくおもいます。 だってどんなに経験豊かになったところで、何と何が引き合うのか、明日何が起きるかは、誰もわからないんだもの。
神様しか知らないそれを、信頼して楽しめるようになった自分がうれしいな。
とにかく、大人になって思ういいところは、いま、自分で自分をたのしんで選べることなのかもしれないなぁ。
わかりにくいしまとまらないけど、そんなことを思いました。きょうはここまで。
おしまい。
いてもいなくてもみんなを笑顔にするお方
2番目のおいっこの話をしていると、なぜかみんな笑顔になって最後には顔をくしゃくしゃさせて笑い出します。
彼は生きてるだけでまわりを幸せにする達人なのです。ここにいなくても、会話に出てくるだけで幸せを振りまけるなんてすごいひと。
今いちばんの、わたしの憧れの人。
彼はゴムまりのようなハリがあって、小鳥のようにかわいい声で、ペンギンみたいに愛くるしくて、おじさんの様な顔で振り返り、仔犬のように走り回って、怪獣みたいに叫びます。子ライオンみたいに怒ってたのに、1秒後には花火みたいにキラキラと笑います。
なんでもかんでもやってみたくて、こちらをヒヤヒヤさせるけど、自分はなんでもできるんだって1%も疑わず、どうやったらできるかなとあれこれ試しながらやりたいことをやり続けます。
できなかったら、できなかったね!とケラケラして。 できたら、できた!とケラケラします。
ただ今に、全力です。
もちろんだけど、いいとか悪いとか、できなかったから落ち込むとかありません。やりたかったらできなくてもやるし、工夫もします。自分でできなくて、それでもやりたかったら人に頼めます。 シンプルに瞬間の欲求を叶えようとするのです。それってとてもすごいことだと思うのです。
いつも何かおしゃべりしていて、あれこれよくわかっているのがわかります。気持ちを一生懸命言葉にするし、人の様子もよぉく見ています。 ほっぺが赤いねぇ。と隣に座る子の頬に自然と手を伸ばしたり。 咳をすると、どうしたの?と声をかけてくれます。くちゅくちゅぺーを、しなかったからよ。と教えてくれます。
笑って、怒って、笑って、泣いて、笑って、食べて、笑って、寝る
ほしいものはほしいといい いらないものはいらないよという
すきなものはすきと喜び いやなものはいやとこばむ
好奇心のかたまりで、喜びがあふれちゃう そのあふれた喜びは、周りにシャワーの様に降りそそぐ
彼が喜ぶと、キラキラのシャワーをまき散らすものだから、それを浴びてみんなしあわせになるのです。
脇目も振らずに我が道を行く彼にトホホと苦笑いをしながらも、その笑顔を見ては、みんなのこころはしあわせになるのです。
こんな素敵なおいっこは3歳と4ヶ月。
先日お兄ちゃんになりました。
【最近の名言をひとつ】
(もう飲んでいないけどたまにおっぱいにくっつくおいっこが) かあちゃんのおっぱいまだ飲むの?とバァバに聞かれて、ひとこと。
「。。。たまには飲みたい時もあるんだよ」
まさか3歳とは思えぬ哀愁です。笑
飲まなきゃやってられない日もありますよね!今日も勉強になります!ラブ!
めいっこちゃんに会いにいきました♡
かわいいとおもう
純粋にかわいいとおもう
このきもちはなんでだろうと不思議になる
はじめましての3秒で、かわいいのです
血のつながり?とか本能?とか、そうかもしれないしそうじゃないかもしれないし、理由なんてわからないけど、会ってまもなく好きになる
何がうれしいって、時々ひらく目がきれいなこと
髪の毛がもしゃっとしてること
口元がふんわり動くこと
あくびをみて笑うこと
やさしくふれあえること
みんなの声がやわらかいこと
抱いたおなかがあったかいこと
大切な人が1人増えたこと
うれしくて、ただしずかに笑いあう 空気まるごと、喜びあう
はじめましてでウィンクをしてくれたきみ いい予感しかしない
安定感のあるまるみ いい予感しかしかない
10分前と顔変わってる おもしろい!
1秒ずつ違う なんてこった!
にぎやかな家族 形が変わっていく喜び
寝ている赤ちゃんをみてただ喜びあうことを、幸せと呼ぶ以外なんていうんだろう ありがとう。
お誕生 おめでとう!
おかあちゃんの憂鬱とみんなの願い
姉の出産予定日が近くなりました。
ということで、大きなおなかの姉と甥っ子ふたりが数日お泊りに来ていました。賑やかな夜とおだやかな朝に我が家の空気は透明でみずみずしい。
ばぁばちゃんは朝からはなうたを歌い、かわいい声と廊下を走る足音がめざまし時計。
朝だ
家族の音だ
また向こうで私を呼ぶ声
にぎやかなきょうのはじまりです。
おにぎりですよ〜 寝ぼけまなこの私の前に、ピンクのおにぎりが届きました。ん〜ぱく。おいしい。おかわり。
彼らはもうすぐ赤ちゃんが生まれること、母の変化に敏感に、嬉しさも不安も感じてるみたい。
大丈夫、大丈夫。 泣いたり笑ったりしながら毎日遊んで生きましょい。
のんびりしてるようなのんびりしてないような、連泊といういつもとちがう時間を過ごして。 一つの親子をはたから見ていて思うこと。
今を見て、今にいて どうぞかぁちゃん、心穏やかに
心配ごとや苛立つことばかりが目につくのは、大切な命がお腹にあるからなのかもしれない。体がいつもと違うからかもしれない。 大変なことを挙げたらきりがないでしょう。
でも、かぁちゃんが生きてるだけで一つの命が育まれる。それってすごい、すごいこと。
おなかの大切な命が望むのは、ただひとつ。かぁちゃんが笑うこと。それはイライラを抑えて無理くり笑うのと違う。どこか遠くへ行って笑うことと違う。
今ある喜びに笑うこと。何もかも大丈夫だと、笑うこと。
すんばらしい存在なのです。どうぞ誇りを持って堂々とふんぞり返って笑っていてほしい。
誰も責めてない、誰も困らせようとしてないよ。 かぁちゃんが好きなだけ。それを伝える方法を手探りで探してるだけ。まだちょっとうまくできないだけ。
かーちゃんに笑ってほしいだけ
お医者さまにまだまだ産まれないと言われ、3人はまたお家へ戻っていきました。
いつもより長くいたから疲れたよ。 でも、とってもしあわせよ。いろんなことが起こるけど、大丈夫大丈夫、なんとかなるよ。
今この時の、愛おしい彼らの表情を思い浮かべて、今夜もおやすみなさい☆
週末は、弟王子の運動会。 わたくし仕事を休んで駆けつけます♪
予定日を過ぎてもまだ産まれる気配のないきみ。きっといっしょに運動会に行きたいんだね。