大人が楽しいのは、自分を自由に選べるから

突然ですが 3歳には3歳の、36歳には36歳のその時の喜びがあるのだけど、36歳の良いところは3歳の自分も心に住んでいることなんだなと思いました。16歳も20歳も36歳もみんな心にいます。 どこでも自分で引き出せるのです。

どんな人にもペンギンみたいな愛くるしい時がありました。 それからニガイ甘酸っぱい青春も、大人に憧れたあの日も。箸が転がるだけで笑いが止まらなかった日も。ひとつひとつ乗り越えてきた苦しみも。 その昨日までの全てを内包している、はじめての今を生きているのだと思います。

当たり前だけど、70歳の人も、69歳までを経験したはじめての70歳を生きてるんだ。 今日を知らなかった昨日の自分と、今日を知ってる明日の自分は違うんだなぁ。 そしてどんな人も初めての今日。 そんなことを思って、はっとして。なんだか歳を重ねる面白さを、感じています。

私が魅力的と思う人は、 大人な存在感の中の、ある瞬間に純粋さや少年(少女)っぽい面が見える人です。男の人でも女の人でも。 遊びごころがあるひとをなぜか大人っぽく(というか魅力的に)感じるのは、その引き出しのスムーズさなんだろうなぁ。その人のこれまでがどこかそのまま光っているんだろうな。

そういえば、自分の中にある引き出しの存在に気づいてから、少し前よりその開け閉めがスムーズになって、そしたらこんがらがってた記憶やもう必要ないな、というそれは整理できてきたように思います。 そして、すっきりと、でも大切な自分はここにいてくれる気がして気持ちがいいです。

きっとどの今も初めてだから過去のことは関係ないのだけど、でも、経験という引き出しがある私も今の私なんですね。

ピュアな自分もまっさらな自分も、おばちゃん大人な自分も、優しいも、強いも、昨日よりひとつ増えた何かを、ふと必要な時に取り出して、自分や誰かの気持ちに寄り添えたらいいし、遊べたらいいな。と思うのです。

もちろんいらないものは、ありがとうとさようならして、はじめてのはじめましての今に全力で試行錯誤すればいい。と思います。

昔々のささやかで、何にも関係ないようなことがいつかどこかで誰かや何かと繋がったりもします。それでも毎日初めましての今日を生きれることを、おもしろくおもいます。 だってどんなに経験豊かになったところで、何と何が引き合うのか、明日何が起きるかは、誰もわからないんだもの。

神様しか知らないそれを、信頼して楽しめるようになった自分がうれしいな。

とにかく、大人になって思ういいところは、いま、自分で自分をたのしんで選べることなのかもしれないなぁ。

わかりにくいしまとまらないけど、そんなことを思いました。きょうはここまで。

おしまい。