痛みは信号 涙は魔法

あっという間に8月はおわり 9月のはじまり。

今朝は朝早く避難訓練のサイレンで目が覚めて。無駄にドキドキして、また寝て。 2度目は宅急便のピンポンで、起きました。母宛のすこし重みを感じる小包を受け取って、またお布団に戻ったなまけものです。

この季節はすこし苦手。 とても好きだけど、すこしだけ。 季節の変化に追いつかない体が、しばらく時間を止めたがるみたいです。

夏が終わるってことだなぁ。

今日は予定のない日曜日です。 静かに過ごす1人の時間があってうれしい。こんな朝はお気に入りの毛布が心地いい。

理由のないせつなさと、落ち着いてまわりを見て感じるあったかい感触を交互にさわりながら朝を過ごしています。 わたしはこの感じ、きっと好きなんだな。だから、秋が必要。 夏の眩しさに隠れて見えなかったものが見えてくる、やさしいがしみる。贈り物が届く季節です。

やらなきゃいけないことが頭を横切るけど、一旦置いてからっぽにする(いつも置きすぎだけども。笑) 体の痛みが、休むことを教えてくれるのだと。。。←思えるってことは回復して来た兆しだなぁ。 (昨日までは痛い、最悪といって泣いてたのは誰だ。)

ほんと、ひとは単純にできていて、痛い時は痛い。過ぎれば痛くない。ひとつひとつなんだなー。だから痛いを思い悩まず痛がればいいんだなぁ。それが最短の道かも。 ずっと痛がってられないもの。しばらく痛がったら、涙は止まる。あとは前を向くだけ。それでいいね。

幼稚園の頃、園の中で泣かない我慢強い子と言われていた子が2人いて、そのうちの1人だったわたし。

今になって痛い時に痛いといって泣いてわかったこと。それは、痛いもんは痛い。それだけってことだった。

痛みはわたしを守ってくれる信号で、泣くことは痛みから守ってくれる魔法で。

信号無視すると、事故にあうよってこと。 信号守って、魔法使って、歩いて行きましょう。

それは心の場合も、体の場合もおんなじことなのでしょう。

泣きたい時には泣きましょう。 泣き虫バンザイ。もう泣いてる自分をバカにしない。泣いても何にも変わらない、意味がないなんて思わない。 魔法使いだとよろこぼう。

神様がくれた贈り物を、すこしずつ受け取れるようになっています。 それはわたしの中からポロリと流れ落ちて、消えていきます。透明で普段見えないはずのものが目に見える魔法。

自然と溢れるそれを無理やり止めることなど、できないのです。流れるままに溢れたら、またひとつ優しくなる魔法なのです。

涙や笑顔は、ジューシーがいちばん。 今をケロリと新鮮に生きようか。

さて、シャワーを浴びてゆっくりな日曜日はじまりはじまり。

時空を超えて、今ここに来てくれた誰かさんの今日も、ジューシーでありますように。

ケロケロ