なきむし

日常の中にいろんな人と関わる

うれしいこと

たのしいこともあって、毎日がつづき

 

それでも、心と体にはわたしだけの波がゆっくりと行ったり来たりしてる

 

毎日が続くと、いつのまにかその波を抑えたり

見ないふりしてしまうようだ

それは、その通りというような顔して当たり前に感じないようになったりする

その方がかっこいい気もしてくる

 

でも、切り替えの早い頭とは裏腹に

わたしの中の波はゆっくりとおおきくやってくる

そして、ふと去っていく

 

 

だから、それがわかったから

わたしの波をしっかりと感じでゆっくりと味わってみようと思う

 

大丈夫というのは、

もう大丈夫ということではなく

 

大丈夫ばなくても、泣いても怒っても間違えてもやり直してももちろん笑っても

どんなわたしも大丈夫ということ

 

だから焦らないで

ゆっくりと豊かさの中にある変化を待つ

そのまんまで、全てが美しくあること

それをうけとっていきたい

 

 

我慢しないで、終わりを決めないで

泣きたい時に泣こう

あふれるんだから

 

いつまで泣いてるの

なんて言葉はかけないで

もう大丈夫なんてうまいこと丸め込まないで

誰かと比べたりしないで

 

生きているんだから

ずっとはないんだから

泣いて、泣き止んで、泣いて、泣き止んで

波にのせて出せばいいじゃないか

 

誤魔化そうとすると痛くなるからだ

なんと正直でめんどくさいのか

 

だからだいすきだよ

いつもありがとう

 

 

なきむしのバースデー

大切なひとが、だいすきなひとが思い浮かぶ

からだをかけめぐる

それはそれは、しあわせの涙

ひるやすみ

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お花を見にきませんか?

 

うれしいお誘い

お昼休みのできごと

 

駆け足で、近所のUさんのお家へ。

 

かわいい庭のお花をぐるりと見て回る

苗を分けてもらう

おしゃべりをして、お昼ご飯までご馳走になる(食べてからいったのに)

 

なんとカレーをおかわりまでする(だって美味しい)

おみやげに静岡の蜜柑とロールケーキと羊羹まで袋に入れてくれた

 

また時間がギリギリになって

荷物を抱えて走って帰る

 

 

うれしい

このもらったしあわせな気持ち

わたしも目の前の人にお返ししていこう

 

そう思って、走った

早くみんなに会いたいな

 

 

 

日常がはじまった

今週は、からだがヘロヘロだった

 

 

火曜日に高熱を出して

水曜日は1日仕事

木曜日にのどにきて

金曜日、声が出なくなる

頭痛と肩こりとなんとも言えないカラダの重さ

土曜日、目覚めると顔がかぶれて目が腫れ上がりぱんぱんで、おまけに生理がきた。

 

 

火曜の39℃の熱で、私の体はなんか狂ったようになった気がした

 

 

 

かぶれて腫れ上がった目をショボショボさせながら、1週間が終わってほっとした帰り道。

 

ふにゃっと濡れちゃったあんぱんまんみたいになった自分に、あははのため息

 

励まそうとして、

濡れたあんぱんまんは弱いけど、でも顔が濡れちゃったのは勇気を出したからだよ

 

ジャムおじさんに新しい顔届けてもらえば大丈夫だよ

と心の中で。

 

だから

私の顔が濡れちゃったのは、私もきっと勇気を出したからだよ

また新しい自分になる、少し前ってことだよ

と言い聞かせた。

 

で、一瞬、ん。勇気?

私はいったいなんの勇気出したのさ。かぜをひいただけじゃんか。と、疑問が湧いて

 

でも少しして

突然ぶぁーと涙が出てきた。

 

私も勇気を出したみたいだ

 

 

おばあちゃんとさよならする勇気

 

そっか

大好きな人とさよならする勇気を出して、私は顔がぐちゃぐちゃになった

 

それを勇気と呼ぶのかそうじゃないのかはよくわからないけど。

そんなことを思った。

 

きっと

今は生理のせいで情緒不安定なのだ。

 

 涙が出てくるのだ。

 まだ泣きたかったのか

 

大丈夫。 いっぱい泣く。

おばあちゃんの命にふれている。

命か。

 

あぁ。熱をきっかけに、からだが狂ったって言ったけど、本当はこの体の不調は、私を整えてくれてるんだと思う。

狂ったように、おかしいカラダの不具合がでたけど、でも、2ヶ月こなかった生理がこうしてきたのだから

うん、間違いない。

 

からだ。ありがとう。

うれしいよ。

 

日曜日は、ゆっくりしよう。

 

 

ポロポロ泣いて

あーあ。また目が腫れる。

 

それと反対にわたしの中、クリアになってきた気がしてる

ばくだん

私の中にばくだんがある

 

 

それはあいのばくだん

 

 

 

ふいに爆発して

胸がきゅうっとなって、だいすきでいっぱいになって、あふれてあふれて私の中はだいすきでいっぱいになって

温泉が地球の真ん中から湧いて穴から空高くまでぶしゅーーーーっと上がるそれみたいに、花火に火がついたらひゅーーーーっと上っていってあとはドカンと開くしかないそれみたいに、私の体の中でいっぱいになって、出るところが見つからずとりあえず目から、涙になってあふれてくる

 

 

愛であふれて愛に包まれて、苦しいのとしあわせなのとわからなくなるほど、しあわせなのだと思う。とにかく愛でいっぱいで体でおさまらない。涙になって出る。どうしようもない。

 

 

 

おばあちゃんが私に残した

あいのばくだん

 

 

おばあちゃんを想うと、ばくはつする

 

 

こんなに愛してくれて

こんなにだいすきで

こんなに胸がいっぱいになる

 

 

風が吹いてはばくはつし

想えば、ばくはつし

ひとりになればばくはつする

 

 

だいすきで、ばくはつしてしまう

胸がいたくなって、あったかくてあったかくて

どうしようもなく。

 

 

 

泣くということの訳は、悲しみだけじゃないことを知る。

 

愛しているの行きつく先。

みどりのひ

2017年5月4日(木)

 

4年ぶりにおばあちゃんがお家に帰ってきた

窓を大きく開けると、家の中に風がきもちよく通りぬけた

 

どうしたって、気持ちのいいお天気で

おばあちゃんの大好きなお花が、たくさん咲いている最高なきょう

 

 あぁ。よろこんでいる

 

そんな風に感じて

涙がでる

 

 

 

変だけど

うれしいような気持ちと愛してるの気持ちと気持ちいいなという気持ちと

ぐっと堪えるなんだか訳のわからない気持ちが私の中にある

 

 

あやめとぼたんを庭からとってきて

おばあちゃんのところにもってく

 

だいすきなおばあちゃんが植えた花

 

 

 

こんなに暑いのに

おおきな布団をかけている小さな細いからだ

 

風になって自由になったおばあちゃん

 

だいすきなおばあちゃん

だいすきなおばあちゃん

 

 

 

 

もうすぐひと月がたつ

死にそうになったら駆けつけられるように

いつ何が起きるかわからないから、いつでも動けるようにする

 

そういう流れを感じ

もやもやしていた

 

誰かの中に。

自分の中に 。

 

 

 

おばあちゃんの容態が思わしくない。

毎日、家族が病院に集う日々が1ヶ月続いた。

 

とても、

苦しくて、しあわせな。

 

 

おばあちゃんの所に来て、顔を合わすと自然とみんなで、おばあちゃんとの思い出を話す。

好きなごはんの話で盛り上がった。

 

自分の知らないことも聞きたかったし

大切なふたりの宝物の時間も、みんなに知ってほしかった。

そしたら、おばあちゃんとの物語を、みんながそれぞれがそれぞれの分、大切に持っていた。

知らないこともたくさん聞けた。知ってることもたくさんだった。

また、家族が泣いて、笑って、おばあちゃんを想った。

 

手や顔を撫でた。

足にふれた。声をかけた。涙を流した。

笑った。

落ち込んだり、勇気が出たりした。

 

別人のように痩せてしまったおばあちゃんは、息をして眠ってる。

 

 

しばらくして、

次の日の予定はどうしたらいいか、みな戸惑う機会が訪れる。

わたしに聞いてくる家族もいる。

それは、つらい感じがした。

 

 

だって

しらない。

 

どうなるかなんて私に聞かれてもわからない。

 

死ぬ日を予測して予定を立てるなんてやだよ。

待っているみたいじゃないか。

 

 

なにかおかしい

おかしい

 

 

みんな、おばあちゃんが大切なだけ。

みんな、おばあちゃんがだいすきで心配なだけで。わかってる。

 

なのに何かもやもやしていた。

疲れているのだと思う。

 

 

 

ふぅ。

 

 

 

 

 

おばあちゃんに限らず、誰でも1秒後のことはわからない

明日死ぬかもしれない。

 

死にそうだから会いに行く

そんなのやだよ

 

会いに行くのは、会いたいから。

 

生きててくれるから

だから会いに行くんだよ。

 

会いたいから、会いにいく

それだけだよ。

 

何かあったら駆けつける、死ぬ間際にそこにいるということに、意味はあるのか

 

生きててくれるから、会いにいける

 

触れたい、あったかい、感じれる、力になりたい、癒したい、甘えたい、伝えたい、繋がりたい、願いたい

 

なのにからだはひとつで

24時間365日ひとつのことはできないし

 

大切な人はたくさんいるし

会いたい人もたくさんいる

 

どうしたって、生きてる

 

どーでもいいこと考えて、食べて出して寝て起きて

大切な人のことを後回しにしたり

好き勝手したりもする。

 

なにが正解なんかわからなくて

この命は何を優先していけばいいのかわからなくて

 

もしかしたら、私が明日死ぬかもしれないし

生きてるかもしれない

 

もうなんにも。

わかんない。

 

 

 

 

もう、ただ

目の前の人に心を尽くすほかないんだ

だからそれぞれが、それぞれのしたいことを

自分で決めて、したいことをするしかない

 

その、今したいことが、おばあちゃんに会いに行くことなだけなんだ。

 

どちらも生きてるから、

その時間が愛おしいよ。

 

いたいだけ一緒にいて

帰りたくなったら帰るの。

 

いってきますとただいまを言うように。

 

 

 

 

大切な人とお別れするかもしれない

それを突きつけられた4月だった

色んな気持ちが駆けまわっていた

 

 

 

だいすきなおばあちゃんのこと

この世界の中の日本の中のこの田舎のこの小さなお家で暮らしたわたしのおばあちゃん。

世界中のみんなに知ってほしい。ふとそんな風に思った。

 

そしたら、世界中のひとが愛しく思えた。極端だけど。

 

知らないけど、でも知らないだけで

みんな誰かの家族で、 誰かの大切なひとなんだよね。

 

そんなあたりまえのことを思った夜。

おやすみなさい。