めくる

年が明けてふと、年末にした友人との会話を思い出してた。

その彼女は大人になってからの貴重な友人で、もう家族のような大切なひと。互いの生活環境が変わる中でも相変わらずの仲。昔みたいに頻繁に会うことは減ったけど、会うたびうれしい。飼い猫になりたい。養子にしてほしい。クローゼットとかに住もうと思っている。実のところ友の旦那にはライバル心しかない。ふふふ笑

彼女は私の知らない方法で私を面白がってくれる。私も私でそういう彼女を面白がっている。これぞ相思相愛。

出会った頃フリーだった彼女も、結婚して今ではお母さんになった。 子どもを膝で寝かしながら、相変わらずわたし達は夜更かししてストーブの前でゴロゴロしながらおしゃべりをしてた。 彼女は言った。みゆさんがどうか早くいい人と結婚出来ますように、幸せになれますようにと勝手に強く願っていたけど、少し前くらいからそれは違うのかもしれないって思うようになってさ。と。 そんな風に思っててくれて嬉しいな、と思うと同時に、後半部分はあははなんだそれ、でもうん、なんかわかる。って思った。 その後続けて、みゆさんはいいかんじだ。みたいなことを言った。 だから結婚しなきゃ、とか、子ども産んどいた方がいいとか、なんというかそう言うんじゃない。そういう原動じゃない。そうなったらそうなったでいいし、そうじゃなくても別にそのまま、いいのだ。と、うまく言えないけど、みたいなことを言った。そう思ってくれたみたいだった。

うまく言えないし何も言わなかったけど、じんわりとわたしも共感する。うん、私もそう思う。そんでもってそう思って改めて口にしてまで伝えてくれる友が今隣にいることにありがたく思う。

今わたしはとてもしあわせなのだ。

確か、聞くところによると世間的にはイマイチである。 バツイチで独身で36歳。彼氏なし。仕事も正社員じゃないしキャリアがあるわけでもない。なんだこれ、文字にするとこわい。しかし事実である。書き出すともっとあるけどこのくらいにしておくとして、こんな私が幸せだというと一部の方にはつよがりもしくは負け惜しみ、はたまた現実逃避と捉えられることもあり。当の本人の感じ方との高低差におののく。すごい世の中じゃ。

しかしありがたいことに私の周りにはそう言う方はほとんどいない。 中にはつんつんってしてくる人もいるがみんなどこか優しいし気にしてくれてとてもありがたい。ごくたまに心配されちゃって返事に困ったり訳なく傷ついたこともあったけど。 でもね、このところ実は全然傷ついてない自分にも気づいている。みんな、自分から見た正解や幸せを通して私にふれているだけのことなのだ。

私もこれからどうなるかわからないけど、どうなっていこうとも、友とまたストーブの前であーだこーだと夜な夜な語り合っていくのだと思う。

書いておきたいと思ったのは ひとつのページをめくった気がしたこの冬のこと。

それは私の長くて短い恋の話だとして。人生のすべてのような気がしていたそのお話は、今ここから見ると、人生の中の1ページだったんだと知る。切ない気持ちとすがすがしい気持ちは一緒に並んである。とてもとても大切な1ページだった。誰も人の恋に共感などするすべはなく、話すことすら無意味に思えるが、たまらない日は話をして、かっこ悪くてでもそれが全てで必死にがんばったりして、凹んだりカラまわったり一喜一憂のたくさんの自分と押し合いへし合いして。

これらはすべて相手と私のやりとりだと思っていたけど、もちろんそうなんだけど、でももしかしたら、相手にふれて湧き出てくる自分と自分の間のできごとでしかないのかもしれないと思った。

おんなじ時間を共有しても、心も体も共感しあっても、絶対同じと信じても、本当のところすべてが重なっているなんて誰にも確かめられなのだ。

「こう思うんだ。」このこころを持っているのは自分だけというどうしようもない、だれにも理解されない、というか確かめられない孤独。それを言葉にするのはこわいことだけど、でも、それでも伝えられる喜びがあった。 最後のシンプルなところにたどりつくまで、ずっと見守られていた。私の心のひだから生まれる波、今が過去になっていく瞬間、私の今日まで。

神さまはいつもこうやってそばにいてくれるんだと思う。そばにいる大好きな人たちが痛みや喜びをもってそれを教えてくれる。

これを物語と思うなら、全体が見えないからこそ目の前の1ページにのめり込み、全力を尽くすことができる。それから、やっとの思いで自分でページをめくる事で、それが全体の一部だったと気付いて、納得するのかな。それは自分にしかわからない心の変化。

そこに答えがあるんだと信じて、気に入ったページだけを繰り返しひらいていたけれど、満足するだけ読み切ったらある日私はページをめくるんだ。今まで夢中で読んでいたストーリーは大切なままそこにあるけど、でもその続きをはじめようとページをめくったんだ。物語は続き、ページは移り変わって行くんだ。

それは尊くてちょっぴり切なくもあり、でもどこかしこ愛しくて、なんて楽しい出来事なんだろう。

そう言えるなんてきっと信じられないだろう、1年前の私。こころいっぱいのこれまでの自分。ペラペラと簡単にページをめくれない人。手あかがついて破れるまで読まないと前に進めない人。こんなの嫌だと思いながら馬鹿みたいに心を焦がして煙臭い自分のこと。今なら、それでいいじゃないかって思う。それしかできなかったし、それがしたかったんだ。

満足するまでひつこく読めばいい。それでいいんだ。

変化してから振り返り私はおどろく。速すぎてなのかノロすぎてなのか、その最中は変化してることなんかに気づけない。そういえば年末に健康診断したら身長が伸びてたよ。そんなの知らなかった。そんな感じか。

家族が増えたり、シワが増えたり、何かが減ったり増えたり変わりながら、いつの時も変わらずそれぞれの想いをしゃべりあってあそびたい。こころの奥のところに住んでるわたしの好きな人たちの幸せを想う。

今心につっかえる何かがなく、透明にこう思っている自分に感動している。

ページをめくったんだ。

ありがとう。

どんな物語が続くのかな。だれも教えてくれない。なんていうことだ。

こわい、けど、おもしろい。全部の中のたった1ページと知りながらも、またそれを忘れるくらいのめり込む物語をあそびたい。苦しかったのに、そんな風に思っちゃうなんて何て勝手なんだろう。でもどんなこともど真ん中なんだ。毎日はおもしろいじゃないか。なんて思ったり。(時々思わなかったりもするけれどもね)

これはまだまだ甘々なことをやってるから言えるタワゴトか。きっとそうかな。深呼吸して、いつもとちょっと違く見える変わらぬ毎日を今日もただ生きるのだ。何が起きても、大丈夫ね。大丈夫ばなくなっても、きっと大丈夫よ。それを忘れないために、ここに記録する。

家族、友だち、先生、大切な人に、みんなみんなにありがとう。

あなたと私の幸せを祈ることができるしあわせを、ありがとう。

確かめられないもの、それは確かにあるもの。

流れこんできて、知らぬ間にあふれる。

つづく