幸福マメ

 

ひとり福豆を食べちょります

さみしくもあり

こうふくでもあります

 

 

 

 

昼休みにつぶやいた

ぽりぽり。

 

***

 

 

 

最近わかったことがあります

 

 

 

 

どんな世界に生きるかは自分で選べるのだということ

 

おんなじ出来事でも、それに対してどう思うかは自分が選択しているということ

 

ならば心地よく

 

 

それはその通り。

なのだけど

私は時々その意味を間違える

 

例えば悲しいのに、これはこれでよかったんだ

ってよく思い込んでいた

だってそれが心地よい選択だと信じてた

 

 

でも、それは違ったよ

 

 

 

悲しいとかさみしい

怒りとか虚しさとか

それらを感じることも、心地よいのひとつだった

 

それがわからなかったから、痛くて怖くて

うれしいとかたのしいとかと

反対側にあると思ってたんだ

 

 

 

でも

かなしいも、うれしいも

みんなみんな

一緒だったよ

 

 

どっちかひとつしか選べないなんてことはなかったし、どっちがいいとか悪いとかなかった

 

 

 

かなしいときはかなしいし

うれしいときはうれしい

なんだか両方のときもある

どっちもまるで

 

きっと、大丈夫がベースにある今は、

どんな感情が顔を出しても、前みたいにこわくない

 

 

シンプル

それが幸福

 

 

 

 

互いに出会わないと思ってた

ふたつの感情

 

おとなり同士にくるとちょっと照れくさいけど

 

 

あはは

 

 

じゆうで

こうふくだ

 

 

 

 

大丈夫という

しあわせの選択

 

 

 

 

 

そのままでいたら自然に

これでよかったって思ってる

 

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30%オフになってたお豆です

 ぽりぽり。

 

 

おとなり同士

福の神さまと、おにのこ

えがお

 

 

 そして豆はうまいのだった