きょうのゆめ

なんか体が自由に飛べて動き回って

ケラケラ笑って

いたずらしたりふざけたり

砂浜や菜の花畑で遊んだり

友だちのお家に出入りしたり

とにかく小学生みたいにケラケラ笑って

 

とっても楽しかった夢をみた☆

 

 

大好きで大好きで

尊敬していて

しすぎてて

でっかくて途方なくて

未だにどこか緊張してしまう存在のふたりと

 

そんなの飛び越えて

何日もクルクル回って笑ってた

 

わたしたちはこどもで

天使みたいで

とにかく楽しくて、目があうたびにクルクル

ケラケラしてた

 

 

わたしは大好きだから、うれしくて全部忘れてケラケラ笑って

 

その距離感がクルクル感がなにより心地よくて

最高に楽しくて嬉しかった

 

あれはなんだったのかなー

 

あんな風に、クルクルケラケラ笑って生きたい

 

誰とも境なく

みんな楽しくて

上も下も、緊張なんて言葉も知らない

いつだって自由にふるまって

クルクルして

そんな世界で笑ってたい

 

 

そー思った、今朝の夢のお話

 

 

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幸福マメ

 

ひとり福豆を食べちょります

さみしくもあり

こうふくでもあります

 

 

 

 

昼休みにつぶやいた

ぽりぽり。

 

***

 

 

 

最近わかったことがあります

 

 

 

 

どんな世界に生きるかは自分で選べるのだということ

 

おんなじ出来事でも、それに対してどう思うかは自分が選択しているということ

 

ならば心地よく

 

 

それはその通り。

なのだけど

私は時々その意味を間違える

 

例えば悲しいのに、これはこれでよかったんだ

ってよく思い込んでいた

だってそれが心地よい選択だと信じてた

 

 

でも、それは違ったよ

 

 

 

悲しいとかさみしい

怒りとか虚しさとか

それらを感じることも、心地よいのひとつだった

 

それがわからなかったから、痛くて怖くて

うれしいとかたのしいとかと

反対側にあると思ってたんだ

 

 

 

でも

かなしいも、うれしいも

みんなみんな

一緒だったよ

 

 

どっちかひとつしか選べないなんてことはなかったし、どっちがいいとか悪いとかなかった

 

 

 

かなしいときはかなしいし

うれしいときはうれしい

なんだか両方のときもある

どっちもまるで

 

きっと、大丈夫がベースにある今は、

どんな感情が顔を出しても、前みたいにこわくない

 

 

シンプル

それが幸福

 

 

 

 

互いに出会わないと思ってた

ふたつの感情

 

おとなり同士にくるとちょっと照れくさいけど

 

 

あはは

 

 

じゆうで

こうふくだ

 

 

 

 

大丈夫という

しあわせの選択

 

 

 

 

 

そのままでいたら自然に

これでよかったって思ってる

 

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30%オフになってたお豆です

 ぽりぽり。

 

 

おとなり同士

福の神さまと、おにのこ

えがお

 

 

 そして豆はうまいのだった

 

(°_°)

とりあえず書こう

 

今日は頭の中がモヤモヤと冴えなくて

あれこれ気持ち悪いのが続いてすっきりしない

 

どうもこうも頭ではわかっていることと

現実に起こることへのとっさに生まれる感情はチグハグになっているらしい

 

あれ、おかしいぞ

となる

 

モヤモヤしてるぞ

となる

 

大丈夫なはずなのに

となって

 

またモヤモヤする自分を

えーなんでまだモヤモヤするの、もうそういうのいいじゃん

しつこいわと

投げ飛ばしたくなる

 

ちょっと待って、わかったってそういうことじゃない

 

大丈夫って、そういう意味じゃないじゃないだろ

 

わかったつもりになっても

現実で行動しないと自分のことではないまま

結局、後戻りして、思考のクセは当たり前のようにわたしを引っ張ってくる

 

わかったら、現実が変わるなんて

そんなことはない

 

 

 

大丈夫っていうのは、何もかもうまくいくって意味じゃない

思い通りになるって意味じゃない

 

どうなっても大丈夫ってこと

思い通りになってもならなくても大丈夫

傷ついても大丈夫

想いが違っても大丈夫

大丈夫

 

 

 

もっと自分で

自分から、触れて

もっと、自分から切り込んで

 

そうやって心にも体にも刻んで

いくしかない

 

大丈夫って

待っていても何も変わらない

 

 

わたしはなにがしたいのか

 

いつまでこんなふうにモヤモヤするのか

 

きっと一生。

 

 

ならば、刻む

わたしを刻め

 

いつまでこわくて隠れているの

 

まだ失敗がこわい

また違う反応が来たらこわい

求められたらこわい

求めて叶わないことがこわい

傷つくのもこわい

打算ばかりでずるい自分

 

 

だれかが歩み寄ってくるのを待ってたって

都合よくそんなことはない

 

依存して、人に隠れて

人のせいにして

モヤモヤして生きてくの?

 

どうせモヤモヤするなら

自分で動いて、頭ぶつけて

それで笑ったり泣いたりしたい

 

 

うまくいくってなんだ

 

まだそんなところ

 

 

 

わたしがつまづくのは、大好きがあるからだと思う

 

自分と違う考えの相手が

理解できなくて、モヤモヤしてしまう

特に近しい人だからこそ

反応が半端ない

わかってほしいが飛び出してくる

 

違くてもいいじゃないか

なのに、どうしてもモヤモヤしてしまう

 

わたしだったらこう思う

に、全く当てはまらない状態に

共感できなくてモヤモヤする

 

 

共感できなくていいのに

違くてもいいのに

理解しなくてもいいのに

 

どうしても説き伏せようとか

普通こう思うでしょうと、それが正しいと

それは間違っていると思ってしまう

 

 

そう思ったっていい

 

でも、相手には関係ない

変えようとする必要はない

 

大切なひとだろうが

わたしと違って、わたしからしたら理解不能でも、わたしからしたら、それは偽善に思えてあなたのためにそれはよくないと強く思ってしまっても

それは関係ない

 

本人からしたらそれが普通でそれをしたいのだから

 

なのにもやもやするとてももやもやする

 

それは、わたしの問題なんだろう

 

あーもやもやする

 

コントロールしたがっているのか

思い通りにしたいのか

 

相手のためをと思いながら、自分の思い通りにしたいだけなのか

それがわたしの安心なのか

 

これが、こんな葛藤が嫌で、離れたくなる

 

なのに、離れられない

なんなんだ

 

ここをひっくるめてすっきりさせたい

 

 

言えばいいし、言わなくてもいい

そして、変わろうが変わらなかろうが

それはそれでいい

 

でも結論、もやもやするなら言ってみ!

で、なるようにしかならない!

 

というところ。

 

 

それより、お前はどうありたいんだ!人のことはいい、自分に目を向けろ!

 

 

ゔ。。。。はーい。

 

 

おわり

 

 

(°_°)   (°_°)  (°_°)

 

 

 

 

 

数日後。。。

この下書き

見て思うこと。

 

 

 

。。何があったんだっけ。汗。

何をモヤモヤしていたのか思い出せない。。

 

。。。ちーん。

 

 

なるよーにしかならず

スッキリさえすれば

なんのことないことだった

YO!

 

笑。

 

 

 

こわい!!

 

自分がこわいyo!(°_°)

記録

1月終わるところ、のつづき

 

 

うまく言葉にできるかな

 

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日々色々なことがあって

それらが繋がって

その時々の色々な気持ちをとおりまわって

まわって、まわって

 

いまの私に起きていることを、記録すると

 

 

幼い頃の自分がとてもとても愛おしいという

人生初めての感情を味わっている。

 

 

 

 

 

2〜30年の時を経て、今というタイミングで目にした古い古いビデオ。なんでもない日々の記録。晴れの日の記録。等々

 

記憶の中にあるわたしと記憶にない意外なわたしの姿

知ってる家族と改めて知る家族の姿

思い込んでた記憶と

今みるむかしのみんな

 

夜な夜なタイムスリップ

 

画面の中

撮ってくれた母の目になって見る自分や家族。

 

怒ったり笑ったり、緊張したり固まったり

隠したり、隠しきてれなかったり

甘えたり意地を張ったり

うっとりしたりヤキモチ焼いたり

調子に乗りすぎたり

チャレンジしたり失敗したり

かわいがったり、かわいがられたり

食べたり飲んだり

ケンカしたり、喜んだり

じーっと見つめたり、ボーとしたり踊ったり

そこにいなかったり

 

 

その時の気持ちを思い出すことと

あのころ見えていた小さな世界、

そしてそれだけが真実ではないもうひとまわり広い世界

それらを今の場所から見つめることが同時にできて、

そうすると

そこで一生懸命生きてるあのこが、つまりわたしが愛おしくて仕方ない。

可愛くて仕方ない。

 

 

笑っていると、笑えてくる

困っていると、だいじょうぶだよと思う

天邪鬼が顔出して、らしくてこれまた微笑ましくもあり

がんばってると、それがんばれと愛おしく

 

イマココにいる未来の私は、どんなことだってまるごとまるごとだいじょうぶだよと言える

全部全部がかわいく思う

 

あの頃のあたりまえの風景だったから、見えてなかったたいせつなものも

今ならみえて、ハッとする。こころが満たされる。ありがたくて、いっぱいになる

 

 

そう思うと、きっと、もっと未来のわたしも

今のわたしをみて、同じように

どんなわたしも愛おしく思ってくれてるんだろうなと思う。

 

全てがありがたくていっぱいなんだ

 

うまく言えないけど

そう感じてる。

今、過去をやさしくみつめるその次の瞬間には

未来からのそのまなざしを感じられる気がして

すごくうれしい気持ちになる。

 

 

 

それとねもうひとつ。

たいせつなたいせつなこと、思い出したことを。

 

 

お母さん。

 

 

 

 

若いお母さんが、遠くからわたしを見つめてる

 

その姿をみた時、わたしの中はなんにもなくなってしまった。

 

いや、なんにもなくなったんじゃなくて、ひとつだけでいっぱいになってた

気づけば、わたしの中にあったものはただただひとつだけだった。

 

 

この人が、だいすきだということ。

 

ずっとずっとずっとずっと。

1秒も休まず

この人がだいすきだということ。

 

 

なんか、それだけで溢れて

もうなんにもいらなくなって

この人が母でいてくれて

こんなにしあわせで

何を苦しむことがあるのかと。

 

全部がそれで解決してしまう。

もう、それでいい。

それがいい、これからもずっと、だいすきしかない。

 

34年間ずっとずっとわたしに向けられた優しいまなざしがそこにあること

体の細胞一つ残らず思い出した。

 

知っていたの、本当は。

こんなしあわせな感覚を、思い出した。

 

 

 

そして、いつのまにかもう

一瞬で

父のことも溶けちゃった。

 

 

素直に、なった

なにを、そんなに握りしめていたのだろう

 

 

父の形の愛も、わたしの元に届いていたのでした。 ないと思ってた。

でも、あった。ということになった。

へーんな形が彼らしくて、それで笑えて、ほしい形くれない父が、どこまでも彼らしくて

愛おしくさえ感じている不思議。

 

 

すっかり忘れていた記憶や

知らなかったそれぞれの思い出の形

変なところだけ切り取って一時停止したままだった記憶

 

 

それが動き出して

血がめぐり出して

今が動き出して

 

なんだかまたホヤホヤ

生まれたてみたい

 

 

母のあの、優しいまなざし

思い出すだけで涙がでちもう。

 

 

 

この世界に生まれた時

おぎゃーと泣いたのは

もしかして、こんな気持ちだったのかな

 

 

そうなのかな

しあわせで嬉しくて、泣いたのかな

なんて思った今

 

 

 

よくわからないけど、今日はそういう記録。

 

 

近くのみんなみんな、やおよろずの神様

だいすきな、みんな

周りにいてくれる人、もの

そのまた遠くて目に見えない

でも繋がってる

みんなみんなのおかげで生きれてる

今に感謝します