どっちがいいとかないのだけれど

わたしが好きな時間。

おばあちゃんと話す時間。

 

ありがたいことに、こどもばかりの仕事場で週に一回、人生の大先輩のおばあちゃんたちと一緒に過ごす時間があります。

 

憩いの場として、いっしょに運動したり歌を歌ったりおしゃべりをしたりするのです。

みなさん、とっても楽しみにしてくれていて、

かくいう私も、今一番すきで、楽しい時間なのです。

 

今週は、たまたまほとんどの方が県内旅行に参加していて、抽選に外れちゃった3名の方とボランティアのUさん、そして私の5名。

こんな少ないのは初めてで、でも少ないからこそじっくりお話しできるとても楽しい会になったのでした。

 

今回、面白かったのが、畑どろぼうのはなし。

 

この辺ではみなさん畑をやっていて、とっても元気。働き者です。

ひょんなことから、野菜が盗まれて困るっていう話になりました。

私はびっくりして聞いていました。

 

そのおばあちゃんの話では、いつもとる人は分かっていて

一生懸命育てた野菜を収穫寸前で早朝だか夜だか見ていないうちにとられてしまうとのこと。

そして、とった人であろうなんとかさんの名前で道の駅に売られているのを見つけて、私の野菜だって思うけど、野菜に名前が書いてあるわけでもなし、どうすることもできないし、と。怒っていた。

そのひとは有名で、畑には何も育ってないのに出荷してるから、野菜がなくなるとあのひとだってみんなわかってる、と。

地域の人同士で、持ってけし~って野菜をあげるのは日常で。

でも、そのひとに畑で行き会ったとき、あげるよって声をかけると受け取らないで、

掘り返された畑を見て、イノシシの仕業だねっていうから腹が立つの。って言ってた。

 

あんたがとったんでしょう。と。

イノシシは🐗畑まで来てウド食べないんだよと。

しらんぷりして適当なことをいうそういうところが腹が立つの。と怒ってた。

 

私もそれは、どろぼうじゃないかと腹が立った。

仕事もしないでいいとこどりで、それも売るなんてずるいじゃないか!と憤りを感じた。そして、なんでわかってるのに、つかまらないの?って思った。

おばあちゃんが怒るのはもっともだ。

 

もうひとりのおばあちゃんも、うちの畑も、道沿いだからいつもとられちゃうのよ。と言った。

 

そして、こんな話をしてくれて

わたしはこころが晴れやかになったんだ。

 

それでね、うちのお父さん。今年は何通り植えようかねって決めるときにね、

これは三通りくらいにしましょうか、って考えて話していたら

今年は四通りだなっていうの。うちの分と出す分と近所にやる分、あと、とられる分で四通りだ(笑)。って。

 

毎年とられる分も計算して、たくさん植えるんですよ(笑)っていって。

それが楽しそうというか、笑い話のような明るい話しぶりでね、みんなで笑った。

 

 

私は、ははぁぁぁっていうか、ぱぁあ!っていうか一瞬で楽しい気持ちになった。

いや、どろぼうはいけないんだよ。

怒っていい。

どっちがいいとか悪いとかじゃなくて

そういうんじゃなくて、そうきたか~!まいりましたみたいな。

 

私は、盗む→悪い→敵だ!みたいな怒りを抱いていた。

そして今思えば、最初のおばあちゃんは、仲間として、正直でないなんとかさんに怒っていたのか??だから、捕まえようとしないってことなのか。

(なんで捕まらないのか疑問だったわたし)

 

これがいいのか悪いのかそんなことはわからないのだけど、

ただ

ゲゲゲのきたろうが、どうしようもないねずみ男を助けにいくような

だめだめなやつだけど、仲間。みたいな。

そんな関係がここにはあるんだ。なんかいいじゃないか!と思ったのであります。

 

そして、こころの余裕があることは、本当の豊かさなんだろうな。と

お父さんの、太っ腹な畑に、平和な日本を見たのでした。

 

何かが起こったとき 

怒ってもいい。怒らなくてもいい。

どっちでもいい!!!!なんと素晴らしいことなのか。

 

わたしが今年の夏食べたゴーヤは、太っ腹なお父さんの畑のもの。

美味しかった。

 

わたしも、どろぼうの(?)なんとかさんも、

同じように恩恵を受けているのでありました。

 

 

 

また、この地域がすきになったっていう、はなし。

 

 

 

与えれば失うことはない。そして、満たされる。

 

 

 

 

追伸。

どろぼうはいけませぬ。

 

 

 

 

おわり。