ここしばらくのことと昨日の夜のきもち

 
 
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どうか

必要とすることと
利用することの違いを感じてから
それを求めてください。
 
その言葉は、想いは
相手に向けられたものなのか
それとも本当はあなたに向けられたものなのか
感じてください。
 
 
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このメッセージを受けて
初めはすぐに意味がわからなかったのだけど
胸がきゅうっとなった。
 
 
 
だから、怖かったけど
自分の内側に戻ってみた。
 
 
大切なkomayoさんのことを想った。
 
大滝さんのことを想った。
別れた人のことを想った。
自分のことを想った。
 
 
わたしのまわりのいろんな気持ちや出来事、人や自然と繋がった言葉になって、もう一度わたしに戻ってきた。
 
 
涙が出てきた。
 
ごめんなさいって想った。
ありがとうって想った。
大切って想った。
 
うそのない
komayoさんの愛情を震えるように静かに感じる。
 
ありがとうでいっぱいになった。
 
 
 
 
それから後、大滝神社のことが頭から離れず
 
わたしたち人間へ向けられた
神さまのことばになってきこえた。
 
また、ごめんなさいとありがとうでいっぱいになった。
 
 
 
 
 
このところ、
自分の想いと
他の人の感じ方のギャップに出くわすことが多く、とても驚いて、くるしいことが続いた。
 
みんな違うから、それはとても自然なことなのだけど、良くも悪くもそちらに合わせて理解しようとする性質が行き過ぎると、自分が苦しく、わからなくなってしまうのだ。
 
 
 
相手をわかりたいと自分を置いてけぼりにしたり
相手にわかってほしいと頭をひねってみたり。
 
そうやって自分からいつの間にか遠くなって
苦しんでしまうのだけど
 
 
でも、ゆっくりだけど
それでもわたしに戻ってこれる感覚や
自分から逃げてしまうことなく、ここにいられる感覚も、自分の中にあることに気づけた。
 
戻った先が静かなものだけじゃなく
見たくないような感情だったりすることもあり、
また、逆に繊細な感情だからこそこわいこともあり
 
苦しみも悲しみもあるのだけど
でも、それにただ飲み込まれずに、感じることも、できるのかもしれないと思えた。
 
 
 
相手のそれは、イコール自分がダメ
なのでは決してない。
もちろん、相手がダメ、なのでもない。
 
突き詰めて考える必要もなく
ただ、そうだった。それだけなのかもしれない。
 
 
 
話かあちこちに行ってしまったけど
胸がきゅうっとなる出来事に、ただ傷ついて目をつむるのではなく、
きゅうっとなるこころを、大切に大切にみつめてみることを、したいと思ったのでした。
 
 
 
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【3月15日の日記】
 
 
 
ありがとう。