もうすぐひと月がたつ

死にそうになったら駆けつけられるように

いつ何が起きるかわからないから、いつでも動けるようにする

 

そういう流れを感じ

もやもやしていた

 

誰かの中に。

自分の中に 。

 

 

 

おばあちゃんの容態が思わしくない。

毎日、家族が病院に集う日々が1ヶ月続いた。

 

とても、

苦しくて、しあわせな。

 

 

おばあちゃんの所に来て、顔を合わすと自然とみんなで、おばあちゃんとの思い出を話す。

好きなごはんの話で盛り上がった。

 

自分の知らないことも聞きたかったし

大切なふたりの宝物の時間も、みんなに知ってほしかった。

そしたら、おばあちゃんとの物語を、みんながそれぞれがそれぞれの分、大切に持っていた。

知らないこともたくさん聞けた。知ってることもたくさんだった。

また、家族が泣いて、笑って、おばあちゃんを想った。

 

手や顔を撫でた。

足にふれた。声をかけた。涙を流した。

笑った。

落ち込んだり、勇気が出たりした。

 

別人のように痩せてしまったおばあちゃんは、息をして眠ってる。

 

 

しばらくして、

次の日の予定はどうしたらいいか、みな戸惑う機会が訪れる。

わたしに聞いてくる家族もいる。

それは、つらい感じがした。

 

 

だって

しらない。

 

どうなるかなんて私に聞かれてもわからない。

 

死ぬ日を予測して予定を立てるなんてやだよ。

待っているみたいじゃないか。

 

 

なにかおかしい

おかしい

 

 

みんな、おばあちゃんが大切なだけ。

みんな、おばあちゃんがだいすきで心配なだけで。わかってる。

 

なのに何かもやもやしていた。

疲れているのだと思う。

 

 

 

ふぅ。

 

 

 

 

 

おばあちゃんに限らず、誰でも1秒後のことはわからない

明日死ぬかもしれない。

 

死にそうだから会いに行く

そんなのやだよ

 

会いに行くのは、会いたいから。

 

生きててくれるから

だから会いに行くんだよ。

 

会いたいから、会いにいく

それだけだよ。

 

何かあったら駆けつける、死ぬ間際にそこにいるということに、意味はあるのか

 

生きててくれるから、会いにいける

 

触れたい、あったかい、感じれる、力になりたい、癒したい、甘えたい、伝えたい、繋がりたい、願いたい

 

なのにからだはひとつで

24時間365日ひとつのことはできないし

 

大切な人はたくさんいるし

会いたい人もたくさんいる

 

どうしたって、生きてる

 

どーでもいいこと考えて、食べて出して寝て起きて

大切な人のことを後回しにしたり

好き勝手したりもする。

 

なにが正解なんかわからなくて

この命は何を優先していけばいいのかわからなくて

 

もしかしたら、私が明日死ぬかもしれないし

生きてるかもしれない

 

もうなんにも。

わかんない。

 

 

 

 

もう、ただ

目の前の人に心を尽くすほかないんだ

だからそれぞれが、それぞれのしたいことを

自分で決めて、したいことをするしかない

 

その、今したいことが、おばあちゃんに会いに行くことなだけなんだ。

 

どちらも生きてるから、

その時間が愛おしいよ。

 

いたいだけ一緒にいて

帰りたくなったら帰るの。

 

いってきますとただいまを言うように。