しくらめん
(認めたくないけど気づいちゃったこと)
はっとしたのは
お花に水をあげたときのこと。
シクラメンのお花の水が少なかったので、お水をあげようとヤカンを手に持った。
(うちはジョーロじゃなくてやかんであげている)
そしたら既にヤカンにお水が入ってた。
きのうのがあまったのかな〜とその水をお花にあげた。
そして、ちょうど空になった。
また次のためにお水を入れて元の場所に置こうかと思ったが、やめて、空のまま元の場所に置いた。
ただのなんでもない
私のめんどくさがりな日常なんだけど。
この無意識にとった行動の中に、私は自分のどうしよもないトコロを見てしまったのだ。
そして、他にも思い当たる節があって、あぁ。となるのだった。
気づいてしまった
ただのめんどくさがりじゃなかったことに。
はぁ。
恥ずかしいけど正直に。。
はじめ、使った分の水を元どおりに足しておこうと思って、でもやめたこと。
やめるその瞬間の私の頭の中では、こんな想いが横切ったのだ。
水を足したら、お花に水をあげたことは母は知らずに、私が水をやったことは誰にも知られない。なかったことになる。誰も知られない。
でもヤカンが空だったら、水あげたってことに気づくかもしれないな。
と、そんなような考えがよぎったのだ。見逃しそうなくらい一瞬の出来事。
自分でも驚いた。
ごくり。
え、どういうこと。
単なるめんどくさがりじゃなくて、
私は母に知ってほしいのか。ここでこうしていたことを。
お花に水をやったよ。と。ここにいますよ、こーやってお花に水をあげたんだよ、えっへんと。
なるほど、、、私がこれまで
1人の時にご飯を作って食べて、なかなか食器を片付けないことも、こたつの上に荷物を置きっぱなしにすることも(それは違うか。笑)
洗濯物を畳んでもなかなか部屋に持っていかないこととかも、それ?
いや、基本のめんどくさがりも絶対あるけども。
あぁ。無意識に形跡を残すそれ、大いにある。かも。。と思った。
知られたくないけど気づいてほしい、みたいなめんどくさいやつ。
褒めてほしい
気づいてほしい
何にもしてないことになるのが嫌だ
わたしやったよ
ここにいるよ
わたしだってできるよ
無意識だから、実際は別にそれに気づかれなくても、なんとも思わないし
気づかれても、むしろ褒められるわけなんてなくて、水入れといてよ!って注意されるオチなのだけど。
水入れといてよ!って言われても
それが、私がそこにいた証だから嬉しいのかもしれない。
まさかの。そんな感じだ。
いやいや違うってすごく言いたいけど、
本当は、あぁそうなのかも。と思っているもの。
いま私。
こっそりと自分の存在をアピールしてるんだ
えー。
そんな小さな子どもみたいな自分にわたしは
シクラメン喜んでるね
お水あげたね〜
よかったよかった^_^
と
心で呟いてみた。
そしたら、ハハハと笑えてきて
ヤカンに水を汲み
元どおりにして置いたのだった。
私はもう、承認欲求をもつことを卒業する。
ひとに満たしてもらうことは卒業。
そこを求めることは、本来の私の素直な気持ちが、いつの間にか置いてきぼりになって、すり替わってしまうことに気づいたから。
例えば
シクラメンにお水をあげる。
という素直な喜びが
ひとに認めてもらうための道具になってしまう
それはちと違う。
お母さんのためにしたわけではなく
誰かに褒められるためにしたわけでもなく
ただの喜びだったのだから。
もう、節々に気づいてほしいと自分の存在を振りまくのは卒業なのだ。
もし湧き出てきても
大丈夫。
そんな時は、言葉に出して伝えればいいだけだよね。
気づいてほしいなら、言葉で伝えよう。
それに
こうやってわたしがわたしをみている。
シクラメンもおてんとさまも。
わたしがわたしを喜んで
誰にも知られなくても知られても
わたしはここにいて
何をしても、しなくても
それでいいのだから。
自分が喜びを持ってやったことが
たまたま誰かを喜ばすことができたのならこの上なく幸せ、ただそれだけ。
ほんとーに、もー。ひくくらいひぇ〜となる
どこまでいっても褒めてほしいし、気づいてほしいし、見てほしいんだなぁ。
ひぇー。まったく。びっくりする。
それもやり方間違ってるし。
そっかぁ
かわいいなぁ。笑
なんちゃって。
知ってる?
シクラメンの花って、中が外なんだよ。
なんでだろ。
花びらがすっごくひらいて、反対になっちゃってるの
台風のときの傘みたいに。
一見、どっちが中で外かわからないね。
知った時は、たいそうびっくりしましたとさ!
中身丸出しのしくらめん、かわいいね。
おわり。