2月23日の記録

yogalogをはじめました。

最高だ。





目をとじてnaoさんの声を聞いたら
こころがすーと静まって、いつものあの場所に座っているみたい。

naoさんの問い、言葉に、こころが反応しているのがわかる。

とてもとても、すてきだ。
よくわからないのだけど、わかる感覚がある。

それは、どんなこころにも
まちがいはないということを知っているからなのか。





私はyogaをしたいとおもってる。


自分を感じたい。

自分であることを味わいたい。


スートラを学びたい。

それを望んでるし、うれしい気持ちがする。

おもしろいと思っている。わくわくしている。





そりゃ生ノアが1番だけど
みんなと一緒に学びたいけど

でも、ここにいてもみんなと繋がれる。
それもとてもいい。


そんな気持ち。





私はうれしかった。


こわくないことにきづいたとき。
安心できたとき。




自分でありたいと、願ったとき
でもこわくてこわくて、

でもどうしたって、やっぱりここにしか答えはなくて、扉をあける。

そして、そこは
怖さをも、苦しみをも安心して感じられることを、何度だって教えてくれる。
よろこび、高揚、静けさや、その中の温度
そのまま感じるこころ。

黒も白も。つめたさもあたたかさも。

私が私でいること
その感覚、そうとう不確かなその感覚が、ゆるやかに確かなものになっていって
いつのまにやら
こころが静まる。


人と繋がること
自分と繋がること。


ちいさな一歩ふみだすこと。

そこからたくさんの年月は過ぎ、何も変わっていないようで全てが移り変わっていく。

それは寂しいことではなく、なにも変わらないからこそ、変わっていくことができるんだ。



こころとからだが
喜んでいるのを感じた日

きょうがほんとの旅のはじまりだと思った。
そして、そうしよう、と決めた。


***


そんなことを思った夜
とても穏やかな夜
いつぶりだろう。生理がきた。

わたしはうれしくてぽろぽろ泣いたりした。

それは、ひとつになった感覚からの涙で
うまく言えないけど
愛おしくて泣いた。
涙も血液も同じように流れた。
手がピリピリとして、それすらうれしかった。



こんなふいに、よろこびであふれる夜がきて
わたしがわたしを喜ぶことができて
うれしい。

からだは待っていてくれた
わたしがほんとうにわたしをみて
きいて
寄り添うことを
待っていてくれたんだなと思った。


からだって不思議。
からだってやさしい。

からだにいいこと、学んでも、からだはまるをくれなくて、何をしたってわたしを知らんぷりしてた。

でも今わかることは
からだにいいことは、自分でいること。
自分を聴くこと。
知らんぷりしてたのは、わたしの方だってこと。


ごめんなさい。

待っていてくれてありがとう。


そんなきもち。




いろんなものを見せてくれる
先生や仲間、家族、大切なひとたち、目にうつる風景、みんなみんな

みんながすきだと思った。
ありがとうと思った。




自分が、おんなということを
愛おしく思えた夜、それはなんだかうれしくて。

今から森へこっそり行って
まんまるのお月さまの下でおどる動物たちに
お赤飯を振舞いたい 笑


そんなこと思ったりして、
お布団の中にくるまって
ゆたんぽ抱いて
眠りにつくのでした。



はじまりの合図は
おっきなラッパの音ではなく

とてもやさしく
静かなものでした。