日常がはじまった

今週は、からだがヘロヘロだった

 

 

火曜日に高熱を出して

水曜日は1日仕事

木曜日にのどにきて

金曜日、声が出なくなる

頭痛と肩こりとなんとも言えないカラダの重さ

土曜日、目覚めると顔がかぶれて目が腫れ上がりぱんぱんで、おまけに生理がきた。

 

 

火曜の39℃の熱で、私の体はなんか狂ったようになった気がした

 

 

 

かぶれて腫れ上がった目をショボショボさせながら、1週間が終わってほっとした帰り道。

 

濡れちゃったあんぱんみたいになった自分に、笑った後ため息が出た

 

励まそうとして、

濡れたあんぱんまんは弱いけど、でも顔が濡れちゃったのは勇気を出したからだよ

 

ジャムおじさんに新しい顔届けてもらえば大丈夫だよ

と心の中で。

 

だから

私の顔が濡れちゃったのは、私もきっと勇気を出したからだよ

また新しい自分になる、少し前ってことだよ

と言い聞かせた。

 

で、一瞬、ん。勇気?

私はいったいなんの勇気出したのさ。かぜをひいただけじゃんか。と、疑問が湧いて

 

でも少しして

突然ぶぁーと涙が出てきた。

 

私も勇気を出したみたいだ

 

 

おばあちゃんとさよならする勇気

 

そっか

大好きな人とさよならする勇気を出して、私は顔がぐちゃぐちゃになった

 

それを勇気と呼ぶのかそうじゃないのかはよくわからないけど。

そんなことを思った。

 

きっと

今は生理のせいで情緒不安定なのだ。

 

 涙が出てくるのだ。

 まだ泣きたかったのか

 

大丈夫。 いっぱい泣く。

おばあちゃんの命にふれている。

命か。

 

あぁ。熱をきっかけに、からだが狂ったって言ったけど、本当はこの体の不調は、私を整えてくれてるんだと思う。

狂ったように、おかしいカラダの不具合がでたけど、でも、2ヶ月こなかった生理がこうしてきたのだから

うん、間違いない。

 

からだ。ありがとう。

うれしいよ。

 

日曜日は、ゆっくりしよう。

 

 

ポロポロ泣いて

あー。またぱんぱんまん。

 

 

 

ばくだん

私の中にばくだんがある

 

 

それはあいのばくだん

 

 

 

ふいに爆発して

胸がきゅうっとなって、だいすきでいっぱいになって、あふれてあふれて私の中はだいすきでいっぱいになって

温泉が地球の真ん中から湧いて穴から空高くまでぶしゅーーーーっと上がるそれみたいに、花火に火がついたらひゅーーーーっと上っていってあとはドカンと開くしかないそれみたいに、私の体の中でいっぱいになって、出るところが見つからずとりあえず目から、涙になってあふれてくる

 

 

愛であふれて愛に包まれて、苦しいのとしあわせなのとわからなくなるほど、しあわせなのだと思う。とにかく愛でいっぱいで体でおさまらない。涙になって出る。どうしようもない。

 

 

 

おばあちゃんが私に残した

あいのばくだん

 

 

おばあちゃんを想うと、ばくはつする

 

 

こんなに愛してくれて

こんなにだいすきで

こんなに胸がいっぱいになる

 

 

風が吹いてはばくはつし

想えば、ばくはつし

ひとりになればばくはつする

 

 

だいすきで、ばくはつしてしまう

胸がいたくなって、あったかくてあったかくて

どうしようもなく。

 

 

 

泣くということの訳は、悲しみだけじゃないことを知る。

 

愛しているの行きつく先。

みどりのひ

2017年5月4日(木)

 

4年ぶりにおばあちゃんがお家に帰ってきた

窓を大きく開けると、家の中に風がきもちよく通りぬけた

 

どうしたって、気持ちのいいお天気で

おばあちゃんの大好きなお花が、たくさん咲いている最高なきょう

 

 あぁ。よろこんでいる

 

そんな風に感じて

涙がでる

 

 

 

変だけど

うれしいような気持ちと愛してるの気持ちと気持ちいいなという気持ちと

ぐっと堪えるなんだか訳のわからない気持ちが私の中にある

 

 

あやめとぼたんを庭からとってきて

おばあちゃんのところにもってく

 

だいすきなおばあちゃんが植えた花

 

 

 

こんなに暑いのに

おおきな布団をかけている小さな細いからだ

 

風になって自由になったおばあちゃん

 

だいすきなおばあちゃん

だいすきなおばあちゃん

 

 

 

 

もうすぐひと月がたつ

死にそうになったら駆けつけられるように

いつ何が起きるかわからないから、いつでも動けるようにする

 

そういう流れを感じ

もやもやしていた

 

誰かの中に。

自分の中に 。

 

 

 

おばあちゃんの容態が思わしくない。

毎日、家族が病院に集う日々が1ヶ月続いた。

 

とても、

苦しくて、しあわせな。

 

 

おばあちゃんの所に来て、顔を合わすと自然とみんなで、おばあちゃんとの思い出を話す。

好きなごはんの話で盛り上がった。

 

自分の知らないことも聞きたかったし

大切なふたりの宝物の時間も、みんなに知ってほしかった。

そしたら、おばあちゃんとの物語を、みんながそれぞれがそれぞれの分、大切に持っていた。

知らないこともたくさん聞けた。知ってることもたくさんだった。

また、家族が泣いて、笑って、おばあちゃんを想った。

 

手や顔を撫でた。

足にふれた。声をかけた。涙を流した。

笑った。

落ち込んだり、勇気が出たりした。

 

別人のように痩せてしまったおばあちゃんは、息をして眠ってる。

 

 

しばらくして、

次の日の予定はどうしたらいいか、みな戸惑う機会が訪れる。

わたしに聞いてくる家族もいる。

それは、つらい感じがした。

 

 

だって

しらない。

 

どうなるかなんて私に聞かれてもわからない。

 

死ぬ日を予測して予定を立てるなんてやだよ。

待っているみたいじゃないか。

 

 

なにかおかしい

おかしい

 

 

みんな、おばあちゃんが大切なだけ。

みんな、おばあちゃんがだいすきで心配なだけで。わかってる。

 

なのに何かもやもやしていた。

疲れているのだと思う。

 

 

 

ふぅ。

 

 

 

 

 

おばあちゃんに限らず、誰でも1秒後のことはわからない

明日死ぬかもしれない。

 

死にそうだから会いに行く

そんなのやだよ

 

会いに行くのは、会いたいから。

 

生きててくれるから

だから会いに行くんだよ。

 

会いたいから、会いにいく

それだけだよ。

 

何かあったら駆けつける、死ぬ間際にそこにいるということに、意味はあるのか

 

生きててくれるから、会いにいける

 

触れたい、あったかい、感じれる、力になりたい、癒したい、甘えたい、伝えたい、繋がりたい、願いたい

 

なのにからだはひとつで

24時間365日ひとつのことはできないし

 

大切な人はたくさんいるし

会いたい人もたくさんいる

 

どうしたって、生きてる

 

どーでもいいこと考えて、食べて出して寝て起きて

大切な人のことを後回しにしたり

好き勝手したりもする。

 

なにが正解なんかわからなくて

この命は何を優先していけばいいのかわからなくて

 

もしかしたら、私が明日死ぬかもしれないし

生きてるかもしれない

 

もうなんにも。

わかんない。

 

 

 

 

もう、ただ

目の前の人に心を尽くすほかないんだ

だからそれぞれが、それぞれのしたいことを

自分で決めて、したいことをするしかない

 

その、今したいことが、おばあちゃんに会いに行くことなだけなんだ。

 

どちらも生きてるから、

その時間が愛おしいよ。

 

いたいだけ一緒にいて

帰りたくなったら帰るの。

 

いってきますとただいまを言うように。

 

 

 

 

大切な人とお別れするかもしれない

それを突きつけられた4月だった

色んな気持ちが駆けまわっていた

 

 

 

だいすきなおばあちゃんのこと

この世界の中の日本の中のこの田舎のこの小さなお家で暮らしたわたしのおばあちゃん。

世界中のみんなに知ってほしい。ふとそんな風に思う。

 

そしたら、世界中のひとが愛しく思えた。極端だけど。

 

知らないけど、でも知らないだけで

みんな誰かの家族で、 誰かの大切なひとなんだよね。

 

そんなあたりまえのことを思った夜。

おやすみなさい。

帰り道のひとりあそび

仕事帰り、おばあちゃんの顔を見に行くのが日課。

 

そこからの帰り道、母とそれぞれの車に乗って家に向かう

 

 

✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎

 

 

途中、二車線の道路

 

後ろから来た母の水色の車

なぜか右車線に来て私を追いこす

 

むむ、どうした母よ、せめてくるぜ

 

 

信号が赤、ついに横並びになる

 

視線をやると

 

母は無言で指をさす

 

(私は直進、おまえは左折、また向こうで落ち合おう、健闘を祈る!達者でな!アディオス)

 

 

そう聞こえたので

 

私はクールに右手を上げて

 

(おもしろい、名案だ)

 

と目で言うことになる

 

 

風を読み、エンジンをふかす

ゴーグルをつけ直し

信号が青になる

 

私たちはもう一度視線を合わせ

右手を上げた

 

(アディオス)

 

 

そして私の戦闘機は、カッチンカッチンと音を鳴らして大きく左へ旋回し

雲の中へ

 

右手前方には、水色の車体が40キロの猛スピードで視界から消えていった

 

 

(健闘を祈る)

 

 

心でつぶやき、私はハンドルを強く握った

 

 

✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎

 

 

 

 

ばーかーーー?

みたいな

こんなひとりあそびが突然はじまるのだけど、みんなもそうゆうことあるのかな

 

 

 

(°_°)

 

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ちなみに、母は、決してアディオスとかおまえとか言わないし、戦闘機にも乗っていません。

 

あたりまえ。

 

 

で、ほぼ同時に家に着いて面白かったよ。

 

おわり。

ぽ!

こころがぽっ。となる瞬間

 

 

こころが、ぽっ。となる瞬間がすき

誰かのこころがぽっ。となる瞬間をみたいし

私のこころがぽっ。となる瞬間がしあわせ

 

 

それだ。

 

ぽっ。

それは私が生きてるということ。

 

 

だから、何でもいいんだ

仕事とか夢とか目標とか結婚とか

 

 

ぽっ、となることが重大で

他はゴールじゃないのに、それに必死になってしまって

あのしあわせな、私の中や誰かの中の、ぽ。を見失ってたら、そりゃちっと間違えだ。

 

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