ばくだん

私の中にばくだんがある

 

 

それはあいのばくだん

 

 

 

ふいに爆発して

胸がきゅうっとなって、だいすきでいっぱいになって、あふれてあふれて私の中はだいすきでいっぱいになって

温泉が地球の真ん中から湧いて穴から空高くまでぶしゅーーーーっと上がるそれみたいに、花火に火がついたらひゅーーーーっと上っていってあとはドカンと開くしかないそれみたいに、私の体の中でいっぱいになって、出るところが見つからずとりあえず目から、涙になってあふれてくる

 

 

愛であふれて愛に包まれて、苦しいのとしあわせなのとわからなくなるほど、しあわせなのだと思う。とにかく愛でいっぱいで体でおさまらない。涙になって出る。どうしようもない。

 

 

 

おばあちゃんが私に残した

あいのばくだん

 

 

おばあちゃんを想うと、ばくはつする

 

 

こんなに愛してくれて

こんなにだいすきで

こんなに胸がいっぱいになる

 

 

風が吹いてはばくはつし

想えば、ばくはつし

ひとりになればばくはつする

 

 

だいすきで、ばくはつしてしまう

胸がいたくなって、あったかくてあったかくて

どうしようもなく。

 

 

 

泣くということの訳は、悲しみだけじゃないことを知る。

 

愛しているの行きつく先。

みどりのひ

2017年5月4日(木)

 

4年ぶりにおばあちゃんがお家に帰ってきた

窓を大きく開けると、家の中に風がきもちよく通りぬけた

 

どうしたって、気持ちのいいお天気で

おばあちゃんの大好きなお花が、たくさん咲いている最高なきょう

 

 あぁ。よろこんでいる

 

そんな風に感じて

涙がでる

 

 

 

変だけど

うれしいような気持ちと愛してるの気持ちと気持ちいいなという気持ちと

ぐっと堪えるなんだか訳のわからない気持ちが私の中にある

 

 

あやめとぼたんを庭からとってきて

おばあちゃんのところにもってく

 

だいすきなおばあちゃんが植えた花

 

 

 

こんなに暑いのに

おおきな布団をかけている小さな細いからだ

 

風になって自由になったおばあちゃん

 

だいすきなおばあちゃん

だいすきなおばあちゃん

 

 

 

 

もうすぐひと月がたつ

死にそうになったら駆けつけられるように

いつ何が起きるかわからないから、いつでも動けるようにする

 

そういう流れを感じ

もやもやしていた

 

誰かの中に。

自分の中に 。

 

 

 

おばあちゃんの容態が思わしくない。

毎日、家族が病院に集う日々が1ヶ月続いた。

 

とても、

苦しくて、しあわせな。

 

 

おばあちゃんの所に来て、顔を合わすと自然とみんなで、おばあちゃんとの思い出を話す。

好きなごはんの話で盛り上がった。

 

自分の知らないことも聞きたかったし

大切なふたりの宝物の時間も、みんなに知ってほしかった。

そしたら、おばあちゃんとの物語を、みんながそれぞれがそれぞれの分、大切に持っていた。

知らないこともたくさん聞けた。知ってることもたくさんだった。

また、家族が泣いて、笑って、おばあちゃんを想った。

 

手や顔を撫でた。

足にふれた。声をかけた。涙を流した。

笑った。

落ち込んだり、勇気が出たりした。

 

別人のように痩せてしまったおばあちゃんは、息をして眠ってる。

 

 

しばらくして、

次の日の予定はどうしたらいいか、みな戸惑う機会が訪れる。

わたしに聞いてくる家族もいる。

それは、つらい感じがした。

 

 

だって

しらない。

 

どうなるかなんて私に聞かれてもわからない。

 

死ぬ日を予測して予定を立てるなんてやだよ。

待っているみたいじゃないか。

 

 

なにかおかしい

おかしい

 

 

みんな、おばあちゃんが大切なだけ。

みんな、おばあちゃんがだいすきで心配なだけで。わかってる。

 

なのに何かもやもやしていた。

疲れているのだと思う。

 

 

 

ふぅ。

 

 

 

 

 

おばあちゃんに限らず、誰でも1秒後のことはわからない

明日死ぬかもしれない。

 

死にそうだから会いに行く

そんなのやだよ

 

会いに行くのは、会いたいから。

 

生きててくれるから

だから会いに行くんだよ。

 

会いたいから、会いにいく

それだけだよ。

 

何かあったら駆けつける、死ぬ間際にそこにいるということに、意味はあるのか

 

生きててくれるから、会いにいける

 

触れたい、あったかい、感じれる、力になりたい、癒したい、甘えたい、伝えたい、繋がりたい、願いたい

 

なのにからだはひとつで

24時間365日ひとつのことはできないし

 

大切な人はたくさんいるし

会いたい人もたくさんいる

 

どうしたって、生きてる

 

どーでもいいこと考えて、食べて出して寝て起きて

大切な人のことを後回しにしたり

好き勝手したりもする。

 

なにが正解なんかわからなくて

この命は何を優先していけばいいのかわからなくて

 

もしかしたら、私が明日死ぬかもしれないし

生きてるかもしれない

 

もうなんにも。

わかんない。

 

 

 

 

もう、ただ

目の前の人に心を尽くすほかないんだ

だからそれぞれが、それぞれのしたいことを

自分で決めて、したいことをするしかない

 

その、今したいことが、おばあちゃんに会いに行くことなだけなんだ。

 

どちらも生きてるから、

その時間が愛おしいよ。

 

いたいだけ一緒にいて

帰りたくなったら帰るの。

 

いってきますとただいまを言うように。

 

 

 

 

大切な人とお別れするかもしれない

それを突きつけられた4月だった

色んな気持ちが駆けまわっていた

 

 

 

だいすきなおばあちゃんのこと

この世界の中の日本の中のこの田舎のこの小さなお家で暮らしたわたしのおばあちゃん。

世界中のみんなに知ってほしい。ふとそんな風に思う。

 

そしたら、世界中のひとが愛しく思えた。極端だけど。

 

知らないけど、でも知らないだけで

みんな誰かの家族で、 誰かの大切なひとなんだよね。

 

そんなあたりまえのことを思った夜。

おやすみなさい。

帰り道のひとりあそび

仕事帰り、おばあちゃんの顔を見に行くのが日課。

 

そこからの帰り道、母とそれぞれの車に乗って家に向かう

 

 

✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎

 

 

途中、二車線の道路

 

後ろから来た母の水色の車

なぜか右車線に来て私を追いこす

 

むむ、どうした母よ、せめてくるぜ

 

 

信号が赤、ついに横並びになる

 

視線をやると

 

母は無言で指をさす

 

(私は直進、おまえは左折、また向こうで落ち合おう、健闘を祈る!達者でな!アディオス)

 

 

そう聞こえたので

 

私はクールに右手を上げて

 

(おもしろい、名案だ)

 

と目で言うことになる

 

 

風を読み、エンジンをふかす

ゴーグルをつけ直し

信号が青になる

 

私たちはもう一度視線を合わせ

右手を上げた

 

(アディオス)

 

 

そして私の戦闘機は、カッチンカッチンと音を鳴らして大きく左へ旋回し

雲の中へ

 

右手前方には、水色の車体が40キロの猛スピードで視界から消えていった

 

 

(健闘を祈る)

 

 

心でつぶやき、私はハンドルを強く握った

 

 

✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎ ✈︎

 

 

 

 

ばーかーーー?

みたいな

こんなひとりあそびが突然はじまるのだけど、みんなもそうゆうことあるのかな

 

 

 

(°_°)

 

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ちなみに、母は、決してアディオスとかおまえとか言わないし、戦闘機にも乗っていません。

 

あたりまえ。

 

 

で、ほぼ同時に家に着いて面白かったよ。

 

おわり。

ぽ!

こころがぽっ。となる瞬間

 

 

こころが、ぽっ。となる瞬間がすき

誰かのこころがぽっ。となる瞬間をみたいし

私のこころがぽっ。となる瞬間がしあわせ

 

 

それだ。

 

ぽっ。

それは私が生きてるということ。

 

 

だから、何でもいいんだ

仕事とか夢とか目標とか結婚とか

 

 

ぽっ、となることが重大で

他はゴールじゃないのに、それに必死になってしまって

あのしあわせな、私の中や誰かの中の、ぽ。を見失ってたら、そりゃちっと間違えだ。

 

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再会に思うこと

過去も未来もただの幻想かぁ。

 

 

ほんとうにそうかもって思う。

 

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先日、たった半年だけど、長野の山奥で共に過ごした知人と5.6年ぶりに再会した。

 

会うまでは少し緊張してた。

年賀状のお返事もしてないし、失礼極まりないずっと音信不通なわたしだ。

 

あのころ、顔で笑っていても、本当は自分の殻に閉じこもって劣等感でいっぱいだった半年だったから、自分が苦しかった。

わたしのことなんてみんな覚えちゃいないだろうと思っては、それはその頃の自分に会いたくないだけだった。

 

その頃の自分に戻るのが怖かった。

 

 

お手紙が届いた。

山梨に来るという彼女へ、私はよかったらお家へ泊まってね、と返事をした。

 

わたしはどんな顔して会うのかな。

夢を叶えるためにがんばっている彼女へ、私は顔向けできるような生き方をしてるのか、などと頭をよぎったのも、嘘ではなかった。

それはいつもの悪い癖。

 

それはちがうとすぐにわかる。

 

あの時のわたしもわたし

今のわたしもわたし

 

何も恥じることのない、わたし

小さくなることもなく、大きく見せることもない

 

そのままのわたし

 

そのままのわたしで、彼女に会ってみたかった。

 

そして彼女と話がしたかった。

 

 

その日が来て、駅まで迎えに行く。

 

実際会ってしまえば

嬉しい再会で

 

ごはんを食べて、温泉に行って

それはそれは話も尽きず

それぞれのことや、ポロリと想いを打ち明けたり、ほろりはらり。こころが隣に座りあっているのを自然と感じた。

 

うれしかった。それぞれの月日を過ごし

知らないことの方が多いだろう私たちだけど

今、となり同士で、前を向いていた。

 

 

彼女はお風呂の帰りの車の中

あー、やっぱり変わらないね

来てよかった、とってもすてきだな〜

 

と言った。

 

 

わたしはおどろいた。

とても驚いた

彼女の知ってるころの私は、自分を小さく小さく見積もって、素敵だと思うことなど微塵もなく、劣等感のかたまりで、人と比べて落ち込む日々だったのだから。

 

気持ちを表に出すことなんて、ほとんどなかった気がするもの。

 

私は、今こころ穏やかに隣にいれるのは、自分が変わったからだと思ってたんだ。

小さい自分も大切に思えるようになったからだと。

比べること、競うこと、崇めること、卑下すること

全部やめて、今ここにいるからだと。

 

 

でも、

昔も今も、そのままだよ

て言われて、おどろいたんだ。

 

 

あのころ、自分のことも周りのこともよく見ずに、必死で背伸びして足つって、勝手にいじけてた。

 

なのに、いつも眩しいすてきな彼女は

今も昔も、私見てくれていて、なにも変わらないと言った。

 

自分が見えていないのは、自分だけだったのか。

逆かな、自分のことしか見てなかったのかもしれん。

 

あのころの偽りの自分(と思い込んでいた)を、例えば誰かがすてきと言ってくれても、受け入れることなく、より自分を責めた

 

それは私じゃない
何もわかってない、それはニセモノ

なんて、思っていたことを思い出す

 

だから

今までは、変わったね、と言われたかった。

変わらないね、は少々凹む言葉だった。

 

 

でも今

彼女の一言は、

じわじわと私のなにかを、溶かした

溶かしたと言うか、すでに溶けていたことに気づけた、というのかな

 

変わらない私にすてきだよ〜と言う、誰よりすてきな彼女の言葉。

大切に宝物にする。

 

もちろん、彼女も私も変わった。

 

うん。

でも、きっと変わらない。

あのころも、今も

 

私の真ん中。

彼女の真ん中。

 

悩み、もがき

涙を流したり、笑い飛ばしたりしながら

あきらめないで

ここで生きている仲間。

 

 

 

ありがとう。

ほんとうに会えてよかった。

 

 

 

あの時も、今も、私はちっぽけだ!!

でも、それがきっと、とてもでっかいんだ。

 

変わらない私にも、心からありがとう。

 

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振り返ると

一歩踏み出せば

すばらしい出会いに恵まれて

生きてきた

 

 

何かができることや

でっかい何か、成し遂げること

人より秀でた何か

 

勇気を出して得られたのは

そういうのじゃなくて

 

私にとっては、人との出会いなんだ

 

 

人にふれて、自分にふれて

感じるぜんぶが尊いものだと。

 

 

 

こころを開きたい、もっともっと。

 

もっともっと!

 

 

 

 

そう思った、4月のはじめの長い話。

そろそろ終わり。